東海道五十三次の解説 25 金谷

東海道五十三次

日坂宿から金谷宿まで6.5km 北緯34度49分22秒 東経138度07分43秒

金谷宿は、東海道五十三次の24番目の宿場です。
現在の静岡県島田市金谷です。
遠江国最東端の宿場町です。
室町のころはちいさな宿場で、当時は菊川の方が栄えていました。
本格的な宿場としては、東海道五十三次の主要な宿駅のひとつとなってからです。

金谷宿は、金谷本町と金谷河原町の二町にわかれていています。
金谷本町が他の宿場と同じように伝馬役を務め、河原町が大井川の川越しを取り仕切る川越役・徒渉(かち)役目を担っていました。
大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所です。
増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、江戸のような賑わいをみせていました。

金谷宿東側の入り口には、八軒屋橋という板橋がかかっていました。
通常宿の入り口に左右一対置かれていた桝形が金谷宿には無りません。
橋がその役割をしていました。
大井川の岸からこの橋までの街道の両側は1町50間ほど松並木になっていました。
橋を渡ると川会所(かわいしょ)、川越し人足の番宿、札場、高札場などが立ち並んでいました。 
河原町から西へ向かって15軒あたりから先が宿の中心街です。

金谷宿の全長は東西16町24間、宿内人口は4271人、宿内家数は1400軒でした。
宿内には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒、他に木賃宿もありました。
川合所などの川越し施設があり、宿場に常備する人足や馬の数は、人足が155人、馬が100疋です。
加えて水害にも苦しみました。
これらは町の大きな負担となっていました。

街道沿いにはSLが走る大井川鉄道の新金谷駅、川越し資料館、日本左右衛門の墓などがあります。
現在は書店を営む佐塚屋本陣跡、農協前にある柏屋本陣跡、金谷の1里塚跡などが宿場町の面影を伝えています。
公園には金谷宿の川越しの歴史が掲示されています。

①「保永堂版」
 大井川の川渡しを金谷側を見た様子を描いています。
 川を渡る1行は小さく描かれています。
 客人や人足1人1人の動きは細部まで描かれています。
 渡り終えた人足たちは疲れて寝転んで休憩しています。
 当時の川渡しの苦労が伝わってきます。
 山の右の中腹に見える集落が金谷宿です。

②「行書版」
 低い視点からまじかに川渡しを描いています。
 手前が島田宿へ向かう蓮台渡しの力士です。
 奥が金谷宿へ向かう華やかな大名行列の渡しです。
 中間の中州で流れに変化を付けています。

③「隷書版」
 山中から大井川を見下ろす構図です。
 大井川の大きさを表現しています。

④「北斎版」
 金谷宿から川越しに向かう旅人を描いています。
 富士山の大きさを誇張して大きく描いています。

⑤「旅画像」
 JR金谷駅です。
 柏屋本陣跡です。 
 金谷坂の石畳下り口です。
 
⑥「スタンプ画像」
 JR金谷駅のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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