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浮世絵について

「(1)浮世絵の魅力と歴史」
魅力を要約すると7項目になります。
(1)価格が安く庶民が気楽に入手できた。理由は、版画で多数印刷でき、和紙が一般的に普及していて原価が安かった。
(2)絵のサイズが最大でも横400mm、縦300mmの大きさで持ち運びや保管が簡単で地方への土産になった。
(3)絵がデフォルメされて漫画的で多色摺りできれいに見えた。
(4)当時のニュースや広告に使用され経済活動に組み込まれていた。
(5)芸者、歌舞伎役者、美人茶屋娘のブロマイドになっていた。
(6)海外ではジャポニズムが人気になり、日本文化を知る教材になった。
(7)当時は写真が一般的に使われていなかったため、西洋の石造りの住居と違い木造の簡易住居は現在残っていない、写真の代用として木造の簡易住居映像が残った。また、庶民の生活様式も残され貴重な資料となっている。

それではその特徴を詳細に説明いたします。
「浮世絵」(うきよえ)とは、江戸時代から大正時代に描かれた、風俗の絵画です。この世は「憂き世」で嫌なことばかりなので、ウキウキと浮かれて楽しく、この世を謳歌して暮らしたいと「浮世」の字が当てられた。
浮世絵は武将を描いた「武将絵」や遊郭の美女の「美人画」、歌舞伎役者の「役者絵」など、浮世を取材しているのが特徴です。
その浮世絵には、「木版画」(もくはんが)と「肉筆画」(にくひつが)の2つがあります。
木版画とは、木版で刷り上げた浮世絵のこと。木版をひとつ作れば、何百枚も同じ絵を刷ることができる画期的な技術で、日本に中国から伝来し、仏画などに用いられてきました。
木版画には、読本の挿絵として描かれた「版本挿絵」(はんぼんさしえ)と、独立した「一枚絵」(いちまいえ)があります。肉筆画は、一品物で高価です。木版画は、一般庶民でも浮世絵を安価に購入できました。
木版画の制作は、「絵師」(えし)、「彫師」(ほりし)、「摺師」(すりし)が分業して作業しました。
絵師には、才能あふれる絵心が必要。彫師は、忠実に彫る技術が必要。摺師は、慎重に紙に摺り、完成させる人です。
分業することで、質の高い浮世絵を短期間で大量生産させることができました。
まず200枚刷った物が「初摺」(しょずり)です。追加して摺るのが「後摺」(あとずり)です。後摺は版木も劣化するため、初摺よりも質が落ちると言えます。
肉筆画とは、絵師が自分の手筆で描いた、この世に1枚しかない浮世絵のこと。
浮世絵の歴史の説明をします。
江戸時代前期に肉筆画が描かれました。
木版画の技術が発達し「墨摺絵」(すみずりえ)という黒色1色だった版画は、紅を加えた2~3色の「紅摺絵」(べにずりえ)となり、多色摺の「錦絵」(にしきえ)に変化しました。
錦絵の絵師が増え、浮世絵は一大ブームなりました。江戸時代前期(1603~1680年)は1670年(寛文10年)頃、浮世絵が描かれるようになった。 

浮世絵の創始者は、越前藩御用絵師「岩佐又兵衛」(いわさまたべえ)です。
岩佐又兵衛は土佐派、狩野派に学び、肉筆画で浮世絵を描いた。
木版画の創始者は菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。読本の挿絵を黒色1色の墨摺絵で描きました。
江戸時代中期(1681~1780年)は1688年(元禄元年)頃からは、墨摺絵に手彩色で2~3色を加える技法が生まれます。
それは、丹(紅殻:インドのベンガル地方で産出された赤色顔料)を加えた「丹絵」(たんえ)、紅花から採れる紅を加えた「紅絵」(べにえ)です。
しかし、1枚ずつ手作業で塗るため時間と手間がかかり、さらに同一に仕上げることは難しく、安定性がありません。
1716年(享保元年)頃になると、漆に顔料を交ぜて描く「漆絵」(うるしえ)が登場。
さらに1745年(延享2年)頃には、使用する色ごとに色版を彫って墨摺版に重ねる紅摺絵が登場します。
1765年(明和2年)、「鈴木春信(すずきはるのぶ)」が創始した多色摺の錦絵が誕生する。
この錦絵により浮世絵は大人気となり、優秀な絵師がどんどん増えていきました。
江戸時代後期(1781~1867年)は、役者絵の「歌川豊国(うたがわとよくに)」、美人画の「歌川国貞(くにさだ)」、武者絵の「歌川国芳(くによし)」といった歌川派が隆盛します。
技法は、2枚あるいは3枚など、複数枚の絵をつなげると1枚の絵になる「続絵」(つづきえ)が登場。1枚絵としても楽しめますが、3枚が繫がることで、動きのある大迫力な絵となりました。
大版1枚で制作されないのは技術の問題です。大きな紙を作るのが難しく、また彫師、摺師共に、絵が大きくなることで難度が増すので、2枚、3枚に分けたと言われています。
江戸後期には「風景画」が確立されます。葛飾北斎の「富嶽三十六景」、「歌川広重」の「東海道五十三次」が有名です。
明治時代初期(1868~1895年)は武士の世が終わり、明治維新で、横浜が開港すると、浮世絵には西洋化した都市の様子が描かれる。
それが「開化絵」(かいかえ)、または「横浜絵」(よこはまえ)です。
外国人や外国の服装をした人、蒸気船や自動車などが描かれた異国情緒あふれる開化絵は、たちまち世の人々の心をとらえました。
また、1870年(明治3年)になると、日本で最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」を分かりやすく絵にしたのが「錦絵新聞」です。
「東京日日新聞」の記事を題材として、錦絵を主体としたふりがな付きの解説文が添えられた錦絵版「東京日日新聞」が発行され、人気となりました。その後、絵を描くのに時間がかかる、新聞にくらべて速報性に劣る、写真が普及したため、浮世絵は衰退しました。

(2)浮世絵の絵師

江戸時代の代表的な浮世絵画家(絵師)たちを紹介します。
(1)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)江戸初期に活躍した浮世絵師。
浮世絵を確立した人物で、浮世絵の始祖と呼ばれています。代表作は「見返り美人」です。
「見返り美人」は肉筆の浮世絵で、切手のデザインになったことでも有名な作品です。
鮮やかな紅色の衣裳をまとった女性が、足をとめて振り返っています。
こちらからは彼女の横顔しか見えませんが、その分、後姿から当時のファッション・トレンドをしっかりと楽しむことができます。
ヘアースタイルは、下げた髪の先端を輪に結んだ「玉結び」。
この頃流行した髪型です。髪にさした櫛は高級品の鼈甲(べっこう)のようです。
振袖は、紅色の光沢のある地に小花模様の地紋が織り出され、大輪の菊と桜の「花の丸模様」が散らされています。
これも当時流行したもの。これらの模様は、鹿の子絞りや絹糸、金糸の刺繍、あるいは金箔などで表されたものでしょう。

(2)鈴木春信(すずきはるのぶ)江戸時代中期に活躍した浮世絵師。
細身で繊細な表情の美人画で人気になりました。錦絵の誕生に決定的な役割を果たした。
代表作は「お仙の茶屋」です。「お仙の茶屋」はとくに谷中笠森稲荷境内の水茶屋(寺社へ参拝する人の休憩のために設けられたお店)「鍵屋」の
娘であるお仙の人気は特別で、お仙を見るためだけに皆が鍵屋に行ったという記録もあります。
画像左の人物が笠森お仙です。お仙「会いに行けるアイドル」のようなものでした。
お仙の可愛らしい容姿やすらりとした姿態を上手く描きました。お仙を描いた錦絵にしきえは飛ぶように売れました。

(3)東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)江戸時代中期に活躍した浮世絵師。
約10か月の短い期間に、役者絵などを版行したのち、突如姿を消した謎の絵師としても有名です。
大首絵「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」が代表作です。「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は悪党が今まさに大金を狙って相手に襲いかかる一瞬を、
これでもかと極端に変形し、誇張した大胆不敵な表現で見る者を圧倒。懐からぬっと出された両手が一種の不気味さを演出し、
「いよ!これぞ役者絵の神髄」と思わず声をかけたくなる。大首絵の特徴として、絵の描かれる範囲が狭いために、
役者たちの場面状況がわかりにくいという弱点がありました。
しかし、写楽はそれを逆手にとって顔の各部を象徴的にデフォルメし、さらに特徴的なニュアンスを手に演出させることで、際立つ個性を存分に見せつけたのです。

(4)歌川広重(うたがわひろしげ)江戸時代後期に活躍した浮世絵師。
風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えたと言われています。
代表作は東海道五十三次です。東海道五十三次は旅行ブームが到来していた当時、手軽に旅気分を味わえる浮世絵の風景画は、
江戸の世の人々から大いに人気を集めました。そして、作者の広重は浮世絵師として北斎に勝るとも劣らない人気を得るようになったのです。
以後広重は生涯に20種をこえる東海道シリーズを手がけたのですが、最も人気を博したのが、版元・保永堂が中心となって出版した「東海道五十三次」です。

(5)葛飾北斎(かつしかほくさい)江戸時代後期を代表する浮世絵師のひとり。
その生涯で3万点を超える作品を発表しました。世界的にも有名な画家で、海外でも「HOKUSAI」で広く知られています。
代表作は「富嶽三十六景」です。北斎の真骨頂と言える一作。世界で最も有名な日本絵画と呼んでも過言ではないでしょう。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、その飛沫の波頭を見つめてみれば、北斎が「視覚の魔術師」と呼ばれる所以がわかるというもの。
北斎はこの作品に自然に対する畏怖の念を込めたかったのかもしれません。
富士の頂に向けて、今まさに砕け落ちる瞬間の巨大な波頭となっている部分。
古来、波の造形はさまざまな絵師によって描かれてきましたが、これほどデザイン的にして、奇怪さを漂わす波はありません。

(6)歌川国芳(うたがわくによし)江戸時代末期を代表する浮世絵師のひとり。
斬新なデザイン、奇想天外なアイデア、高いデッサン力で魅力的な作品を多数生み出しました。
代表作は「相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に是を亡ぼす(通称は相馬の古内裏)」です。
「相馬の古内裏」はダイナミズムを追求した結果、大判錦絵三枚をひとつの画面に見立て、はみ出しそうなくらいに大きくモチーフを描く構図は、
国芳以降、多くの絵師たちが追随し、新しい錦絵表現になりました。
それまでは大判錦絵の続きものといえば、一枚ずつでも鑑賞できるように描かれるのが通例でしたが、国芳は既成概念を壊して、大胆な発想で新境地を切り拓いたのでした。

分類浮世絵の題材による分類 
(1)人物画 
1)女絵(美人画) 遊女「松葉屋内 粧ひ」喜多川歌麿画、芸者「三味線を持つ芸者」北尾重政画 評判娘「笠森おせん」鈴木春信画 
2)役者絵 役者絵「市川団十郎の竹抜き五郎」鳥居清倍画  役者似顔絵「市川団十郎の暫」勝川春章画  
3)武者絵「市川団十郎の暫」勝川春章画 
(2)風景画 
1)初期風景画 浮絵「両国橋夕涼浮絵根元」奥村政信画 
2)洋風風景画 江戸名所百景「亀戸梅屋鋪」歌川広重画 
(3)花鳥画 
1)花鳥「鵤(イカル) 白粉花」葛飾北斎画 
2)獣類「桜につなぎ猿」歌川広重画 
3)虫類「蜻蛉 蝶」喜多川歌麿画 
4)魚類「鯛 山椒」歌川広重画 
(4)その他 
1)戯画・判じ物 
判じ物「源頼光公館土蜘作妖怪図」歌川国芳画  
戯画「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」歌川国芳画  鯰絵「しんよし原 大なまづゆらひ」画工未詳 
2)物語絵 今昔物語「藤原保昌月下弄笛図」月岡芳年画 
3)開化絵 横浜絵「神名川横浜新開港図」歌川貞秀画 
4)春画 

春画については説明が必要なので、要約して説明します。
 西洋では、浮世絵と言えば春画をイメージする場合が少なくない。エロティックな版画には二種類あり、一つは「危な絵」と呼ばれる。
 例えば、着物からのぞく足を描いてそこはかとないエロティシズムを漂わせるタイプのものだ。もう一つは、より露骨な、正真正銘の「春画」である。
 春画の美しさは西洋人を驚かせた。作家のエドモン・ド・ゴンクールは『ゴンクールの日記 文学生活の手記』の中で、次のように書いている。
 「私は先日、日本の猥(わい)画集を購入した。大いに喜び、楽しみ、魅了されている。私は、わいせつ性の外でこれを眺める。わいせつ性はあって、ないようだ。
 私には見えない。その奔放な空想性の向こうにかき消えてしまうのである」(『ゴンクールの日記 文学生活の手記』)

(4)日本各地の浮世絵美術館

おすすめ美術館・博物館の紹介します。
日本全国の主要な浮世絵展示の美術館・博物館を16箇所を選びました。
名称と場所、展示内容を簡潔にまとめました。
北から山形県、栃木県2,埼玉県、東京都4、千葉県、静岡県2、岐阜県、長野県2、大阪府、奈良県、山口県にあります。
(1)「天童広重」ゆかりの地の専門館「広重美術館」ひろしげびじゅつかん(山形県)
  江戸時代後期、財政が苦しかった天童織田(てんどうおだ)藩が、献金や借金の返礼として贈るための絵を歌川広重に依頼。現在「天童広重」と呼ばれているこの肉筆画を縁に、1997年にオープンした美術館。初代広重を中心に4代目までの作品を所蔵し、毎月趣向を凝らした企画展を行っている。

(2)喜多川歌麿の肉筆画は必見!「あだち好古館」あだちこうこかん(栃木県)
  江戸末期から呉服類の卸問屋を営んでいた安達幸七が蒐集した浮世絵をはじめとした古美術品を展示公開。江戸時代に建てられた土蔵倉庫は、時代をさかのぼったような感覚が味わえます。中でも見ものは、広重の「東海道五拾三次」と喜多川歌麿の肉筆画「山姥と金太郎」

(3)明治期の驚異の浮世絵に出合える「河鍋暁斎記念美術館」かわなべきょうさいきねんびじゅつかん(埼玉県)
  浮世絵師で狩野派絵師・河鍋暁斎の曾孫が設立した美術館。3,200点もの所蔵品の中から、1〜2か月ごとにテーマを替え、暁斎のバラエティに富んだ作品を約40点展示。

(4)広重の肉筆画を多数所蔵「那珂川町 馬頭広重美術館」なかがわまち ばとうひろしげびじゅつかん(栃木県)
  地元出身の実業家・青木藤作の遺族から寄贈された「青木コレクション」を中心とした美術館。多数の広重作の肉筆画のほか、歌川国貞、歌川国芳、小林清親など幕末~明治の浮世絵があり、常時75点を展示。ユニークな企画展で人気を集めている。

(5)「見返り美人図」でおなじみの!「菱川師宣記念館」ひしかわもろのぶきねんかん(千葉県)
  浮世絵の開祖・菱川師宣が生まれた安房国保田(あわのくにほた 現在の鋸南町)につくられた記念館。師宣の生い立ちから江戸での活躍を、師宣作品を通して紹介するとともに、浮世絵の歴史や、江戸庶民の風俗の展示も。

(6)浮世絵オールスターがそろう「東京国立博物館」とうきょうこくりつはくぶつかん(東京都)
  日本美術の至宝を集めた東京国立博物館は、松方コレクションを中心とした浮世絵作品を約12,000点収蔵。江戸初期から幕末、明治までの浮世絵の名作がそろっていて、本館10室で季節やテーマにそった浮世絵を常設展示している。

(7)時代背景もわかる江戸がテーマの博物館「江戸東京博物館」えどとうきょうはくぶつかん(東京都)
  江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来を考えるというコンセプトでつくられた「江戸東京博物館」では、江戸時代を再現した多種多様な展示の中で浮世絵を鑑賞することができる。

(8)世界有数のコレクションを誇る「太田記念美術館」おおたきねんびじゅつかん(東京都)
  実業家の故・5代目太田清藏の浮世絵コレクションをもとにして1980年にオープンした浮世絵専門美術館。 14,000点にのぼる所蔵品と企画展は世界的にも評価が高い。

(9)世界的浮世絵師・北斎の故郷に立つ「すみだ北斎美術館」すみだほくさいびじゅつかん(東京都)
  世界のその名が知られる浮世絵師・葛飾北斎が90年の生涯のほとんどを過ごした墨田区に2016年に開館。世界にその名を知られる北斎の名作や門人の作品を紹介し、趣向を凝らした展覧会を行っている。

(10)広重の希少品も有する専門館「静岡市東海道広重美術館」しずおかしとうかいどうひろしげびじゅつかん(静岡県)
  東海道16番目の宿場町・由比宿の本陣跡につくられた由比本陣公園の中にある、広重作品を中心に浮世絵を展示する美術館。所蔵作品の中には、世界に数点しか現存しない『木曾海道六拾九次之内 中津川(雨)』といった貴重な作品も。

(11)ミシュランガイドでも紹介された名美術館「日本浮世絵博物館」にほんうきよえはくぶつかん(長野県)
  江戸時代、松本の豪商であった酒井家5代200年にわたる「酒井コレクション」をもとにした収蔵品は、北斎、広重を中心に4万点あまり。質・量ともに日本でも有数の浮世絵博物館として知られ、ミシュラン・グリーンガイドで2つ星を獲得。

(12)晩年の北斎の肉筆名画を多数展示「北斎館」ほくさいかん(長野県)
  北斎の門人であった高井鴻山の地元であり、北斎が晩年逗留した小布施(おぶせ)に建てられた北斎作品専門の美術館。『富士越龍図』をはじめとした肉筆画を多数所蔵し、屋台展示室では北斎が天井絵を手がけた「鳳凰」「龍」および「男浪」「女浪」をしつらえた2基の祭屋台を観ることができる。

(13)広重が見た風景の中で浮世絵鑑賞「中山道広重美術館」なかせんどうひろしげびじゅつかん(岐阜県)
  中山道の69の宿場の中でも最多の旅籠(はたご)があり、最も栄えていた大井宿にある美術館。コレクションは恵那市の収集家であった故・田中春雄寄贈の広重の浮世絵が中心で、模擬版木を用いて摺りの技術を体験できるコーナーも人気を集めている。

(14)道頓堀にある上方芝居の役者絵の宝庫「上方浮世絵館」かみがたうきよえかん(大阪府)
  江戸時代は芝居小屋が立ち並ぶ一大娯楽地であった道頓堀。その南側、法善寺門前にある上方浮世絵館は、文化・文政時代の人気役者3代目中村歌右衛門や7代目片岡仁左衛門などの役者絵が目玉。企画やテーマにそって常時30点ほど展示。

(15)古都で眺める浮世絵はまた格別「奈良県立美術館」ならけんりつびじゅつかん(奈良県)
  風俗史研究家・日本画家の吉川観方が収集した江戸時代の浮世絵や日本画、各種工芸品の寄贈を受け、1973年開館。以後、由良コレクションなどの寄贈により、浮世絵はさらに充実。歌麿や北斎、広重の名作が見られる機会も少なくない。

(16)浮世絵の名作が勢ぞろい!「山口県立萩美術館・浦上記念館」やまぐちけんりつはぎびじゅつかん・うらがみきねんかん(山口県)
  約5,500点の浮世絵版画を収蔵(2016年現在)。中には北斎の稀少な美人大首絵『風流無くてなゝくせ遠眼鏡』や『富嶽三十六景』、広重の『東海道五拾三次』をはじめ、師宣、春信、清長、歌麿、写楽、国芳など、江戸時代の浮世絵師から近現代までの名品がそろっている。

(5)海外の浮世絵美術館

日本は江戸時代末期の1854年に開国しました。欧米に影響を受けて、日本が大きく変化していったことはよく知られているかと思いますが、実はヨーロッパも日本から大きく影響を受けています。
日本の漫画や浮世絵、生地や家具、着物などの日本文化はヨーロッパでは斬新なもので、芸術家たちも衝撃を受けていきました。次第に「ジャポニズム」という美術界の作風の動きへとつながります。
日本が1854年に開国したことにより、欧米に日本文化が紹介されるようになります。まず1850年代後半から次第に、日本の品がヨーロッパで注目され始めました。江戸時代以前から日本とヨーロッパの交易は行われていましたが、日本の美術品が最も大量に海外へ流出した時期といえば、やはり明治維新後です。
イギリスでは1862年のロンドン万国博覧会にて日本の陶器や置物が紹介され、日本への関心が高まっていきました。
そんな宝の山を前にして日本人以上に日本美術にはまったのが、お雇い外国人や外国人実業家たちでした。
大森貝塚を発見したことで有名なお雇い外国人エドワード・モースや、その紹介で日本に来たアーネスト・フェノロサ、鉄道王チャールズ・フリーアなど、日本美術に開眼した外国人たちが日本の美術愛好家たちと交流しながら、稀代の日本美術コレクションを構築していきます。

海外における日本美術品の展示はアメリカでは、モースやフェノロサ、ビゲローらのコレクションが元になったボストン美術館です。次にフリーアが作ったワシントンにあるフリーア美術館。
他にもメトロポリタン美術館や、ヨーロッパはギメ東洋美術館、大英博物館などが有名です。
海外の美術館で大量に収集品が保管され現在まで残っています。また、各美術館、博物館の収蔵品写真も書籍として出版されています。

書籍でまとめられているのが、秘蔵浮世絵大観 講談社 (昭和62年から発行)です。
第1巻 大英博物館Ⅰ 
第2巻 大英博物館Ⅱ  
第3巻 大英博物館Ⅲ  
第4巻 大英図書館 /アシュモリアン美術館 /ヴィクトリア・アルバート博物館Ⅰ
第5巻 ヴィクトリア・アルバート博物館Ⅱ 
第6巻 ギメ美術館2 
第7巻 ギメ美術館2  
第8巻 パリ国立図書館 
第9巻 ベルギー王立美術館
第10巻 ジェノヴァ東洋美術館Ⅰ 
第11巻 ジェノヴァ東洋美術館Ⅱ  
第12巻 ベルリン東洋美術館 

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