東海道五十三次の解説 54 大津

東海道五十三次

東海道五十三次の解説 54 大津


北緯35度00分21.5秒 東経135度51分41.1秒
京師から大津 11.8km

琵琶湖の南に位置する大津宿は、東海道の中でも最も栄えた大きな宿場でありました。
江戸時代は、大津と京都を結ぶ旧東海道は牛車の往来のため道に「車石(花崗岩の石)」が敷かれていました。
明治時代に馬車主体になると車石は撤去された。撤去された車石は石垣などに利用されていました。

大津は、大津事件が有名であります。
大津事件は1891年5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子(後の皇帝ニコライ2世)が、滋賀県大津町で警察官・津田三蔵に突然斬りつけら暗殺未遂事件です。

当時の列強の一つであるロシア帝国の艦隊が神戸港にいる中で事件が発生しました。
発展途上の日本が武力報復されかねない緊迫した状況になりました。武力報復の対応で明治天皇自ら火消に動きました。

①「保永堂版」
大津宿と京都との山間に「走井(はしりい)の里」があります。
「走井」とは勢いよく湧き出る井戸の意味であります。
ここは良質な水量豊かな場所でありました。

茶店の軒端には湧き出る走井が描かれています。
この水で作られた走井餅は土産物として人気がありました。
街道には米俵や薪を積んだ牛車が3台並んで下りてきます。牛車から流通が盛んであったことがわかります。

遠くに見える山は逢坂山であります。
逢坂山は絶えず湧き水で道がぬかるみ、牛車での運搬には苦労がありました。


②「行書版」琵琶湖湖畔の酒どころには名物源五郎鮒の看板があります。現在もゲンゴロウ鮒のなれずしは有名であります。
 琵琶湖産のゲンゴロウ鮒とにごろ鮒と比べると、ゲンゴロウ鮒は皮と身が少し硬めで、歯ごたえがあります。

➂「隷書版」大津絵を売る店が題材であります。
大津絵は江戸時代初期から名産の民俗絵画でああります。
いろいろな画題を扱って、東海道を旅する人たちの土産物や護符として売られていました。

④「北斎版」走井の勢いよく湧き出る井戸の様子が描かれています。

⑤「旅画像」JR大津駅であります。

⑥「スタンプ画像」JR大津駅のスタンプであります。

                     保永堂版

                      行書版

                       隷書版

                   北斎版

               JR大津駅

                   JR大津駅のスタンプ

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