諸人登山

浮世絵

葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「諸人登山」について説明する。 

浮世絵「冨嶽三十六景」中で唯一、富士山の山容が描かれていない。

描かれた人物は皆、「富士講」と呼ばれた富士山を信仰する人たちである。

白雲が湧き立つ中、ここでは金剛杖をつきながら男たちが「おはち参り」をする様子を表現している。

険しい山肌を這うようにしながら登っていく。彼らの顔は一様に疲れきっており、富士登山の過酷さを感じることができる。

画面右上にあるのは石室で、登山者たちが体を休めるために使用していた。
すでに数十人がうずくまって休息をとっている。

大日堂に至る駒ケ岳付近の参道に設けられた梯子の様子が描かれている。

浮世絵「冨嶽三十六景」が出版されたきっかけともなった富士講ブームをこの図にみることができるわけである。

富士山は女人禁制で女の人は出てこない。

当時の富士講は、地域社会や村落共同体の代参講として登山していた。
富士山への各登山口には御師の集落がつくられ、関東を中心に各地に布教活動を行い、富士山へ多くの参拝者を引きつけた。
特に宝永の大噴火以降復旧に時間がかかった大宮口や須山口は、江戸・関東からの多くの参拝者でにぎわった。
最盛期では、吉田口には御師の屋敷が百軒近く軒を連ねていたほどであった。
数多くの講社があり、江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言わた。

この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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