東海道五十三次の解説 はじめに

東海道五十三次

東海道五十三次の解説 はじめに

葛飾北斎の富嶽三十六景に続き、安藤(歌川)広重の東海道五十三次の解説を掲載します。筆者が43歳の時に実際に東海道五十三次を2週間で踏破しました。

当時JR東海が東海道ウオーキングキャンペーンを行っており、イベントの駅で認定スタンプを押し、応募して189番の認定証をいただきました。
平成13年5月連休に実行しましたが新幹線には乗っていません。

東海道五十三次の踏破の理由は、江戸時代の浮世絵風景の場所で、当時の風景を自分の目で確認したかったからです。

当時はサラリーマンであり、長期休暇を取得するのは厳しいため、「冬休み」「5月連休」「夏休み」の3択でした。
「冬休み」は箱根峠と鈴鹿峠は寒さが厳しい。「夏休み」は昼の炎天下の踏破は厳しい。
よって、「5月連休」に実施した。5月連休と5日の有給休暇の活用であるため2週間の連続踏破の実行になりました。

途中、足の痛みで挫折しそうになりましたが、無事踏破できました。
江戸当時は庶民の娯楽で伊勢参り等の旅行が盛んでありました。

浮世絵に東海道五拾三次のすごろくの絵があります。

安藤広重の東海道五拾三次は「保永堂版」「行書版(江崎屋版)」「隷書版(丸清版)」の3種があります。

保永堂版は、天保4年(1833年)。有名なのはこの保永堂版であります。

行書版は、天保十二年(1841)。標題が行書体の文字で書かれていることから「行書東海道」と呼ばれています。
保永堂版から約10年後であり、趣を変えています。構図も単純化し、力を抜いた軽いタッチで描いています。
内田実氏の広重解説では「お茶漬けの味」とわかりやすく表現しています。

「隷書版」は嘉永二~五年(1849~1852)。標題が隷書体の文字で書かれていることから「隷書東海道」と呼ばれます。保永堂版と行書版と比べると構図がやや劣るようです。しかし、面白さがあります。

また、東海道五十三次は葛飾北斎の浮世絵もあります。

浮世絵画像は①「保永堂版」、②「行書版」、➂「隷書版」、④「北斎版」を掲載し、説明は「保永堂版」で行います。

画像では、筆者が実際に東海道五十三次を踏破した⑤「旅の写真」を掲載します。

宿場の到達の証として駅等で押した⑥スタンプの画像を掲載します。

駅等のスタンプが無い場合は⑥「駅の切符」で代用しました。無人駅で切符の販売機が無い駅も数か所あり、画像が無い区間もあります。

来週から週1回の頻度で、各宿場の解説を京師(55番)から日本橋(1番)に向け解説すます。京師から行うのは筆者が踏破した順番だからであります。

東海道ウオーキングキャンペーン 全コース踏破認定証

              保永堂版 表紙

                    すごろくゲーム

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