本所立川

浮世絵

葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「本所立川」について説明する。

この浮世絵の立川(たてかわ)は、東京都墨田区の地名で、旧本所区に当たる本所地域内である。
東京都であるから立川の漢字はやはり「たちかわ」と読んでしまいそうである。
現行行政地名は立川一丁目から立川四丁目である。

本所立川には当時多くの材木問屋があった。
隅田川にそそぐ竪川の両脇に並んでいた材木問屋である。

明暦の大火の以後、火事が起きた際に建替えで必要となる材木がここに蓄えられていた。

本所立川は、この浮世絵師である北斎の出生の地である割下水にほど近い運河である。
現在の両国千歳辺にあたり、往時は運搬に便利な両岸に材木置き場が多くあった。

本図では材木置場に立てられた無数の材木の向こうに富士が顔をのぞかせている。
また、中央で木挽きをする人をはじめ、材木を高々と放り投げる人、それを受け取る人などそれぞれの職人の動きに巧みな人体表現を見ることができる。
材木を高々と放り投げる人、それを受け取る人は職人といえ、ほんとにこの高さまで材木を積み上げられるのか心配になる。

「西村置場」の表示のような広告文言を忍ばせている。

現在、竪川の上には首都高速道路が走っており、日本橋などと同様に往時を偲ぶことは難しい。
竪川から数えて二本目の通りはポンコツ通りと呼ばれ、自動車のパーツを取り扱う店舗が並ぶ。

この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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