東海道五十三次の解説 41 鳴海

東海道五十三次

宮宿から鳴海宿まで6.5km 北緯35度04分48秒 東経136度56分59秒 
鳴海宿は、東海道五十三次の40番目の宿場です。
愛知県名古屋市緑区にあります。
鳴海宿には、本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠が68軒です。

宿の東と西に常夜灯が両方残され、宿場町が約1.5㎞渡っていたことが分かります。

]鳴海宿には鳴海城(別名は根古屋城)があります。
鳴海城は1394~1428年に安原宗範が築城したものです。
1560年の桶狭間の戦いでは、今川義元軍の武将岡部元信が、この城で織田軍と戦いました。
その後、織田信長の手に渡り1590年に廃城となりました。

鳴海宿の東の入口に平部町(ひらぶまち)常夜灯があります。
平部町に建てられたものです。
表に「秋葉大権現」右に「宿中為安全」左に「永代常夜燈」裏に「文化三丙寅正月」の文字が刻まれています。
1806年に設置されたもので、旅人の目印や宿場内並びに宿の安全と火災厄除などを秋葉社に祈願しました。

絞木綿の手拭いや着物は旅人に評判が良く、東海道の名物となりました。
絞木綿の染める前の「くくり」の担い手は主に近隣の婦女でした。
鳴海村・大高村には絞り染めをする者もいました。
名古屋木綿問屋経由で江戸へも出荷していました。
江戸時代の伝統を今に伝えています。
有松・鳴海絞は、海外のファッションショーで生地として採用されています。

①「保永堂版」
 鳴海の名物であり地場産業でもあった有松絞りに因んだ構図です。
 街道沿いに建つ2軒の店はいずれも有松絞りをあつかう店です。
 2階建ての立派な蔵造りの店構えは豪華です。
 手前の店を見ると客人が腰をかけ店主と何やら話にふけっています。
 暖簾には広重の「ヒロ」の組み合わせた家紋があしらわれています。
 2組の旅人たちは店には目もくれず歩みを進めています。 
 
②「行書版」
 店内の有松絞の反物の図柄まで丹念に描いて美しさを表現しています。
 左手の旅姿の3人は店に未練があるようです。

③「隷書版」
 有松絞の店がたくさんあることを遠近法で表現しています。
 
④「北斎版」
 有松絞の店内の様子と作業する人物や交渉する姿を描いています。

⑤「旅画像」
 画像はありません。
  
⑥「スタンプ画像」
  
 名鉄 名古屋本線 鳴海駅の切符です。

保永堂版

行書版

隷書版

北斎版

スタンプ画像

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