葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「東海道金谷ノ不二」について説明する。
この浮世絵の金谷は、現在の静岡県島田市の金谷宿である。
金谷宿は、大井川の西岸に位置する東海道の24番目の宿場である。
大井川は「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と詠われた東海道最大の難所である。
江戸時代、架橋、渡船が禁じられていた。大井川では川越しの人足や馬の背に荷駄や人を乗せる徒渡しが行われていた。
水の深さは川留めぎりぎりの「乳上」まである。
金谷宿と島田宿の双方から徒渡しで往きかう旅人や荷駄が描かれている。
一人一人背中に担いでいるものもあれば、十人以上で籠を載せた輦台を担いでいる者もいる。
左端とそのすぐ右側の輦台は、何故か三列の担ぎ手がいるが、そのうちの一列は何の役目も果たしていない。
島田宿の掲げられた旗には永の字が、徒渡しの長持ちには寿の字が、旅人の風呂敷にも寿の字や家紋が見える。
富嶽三十六景の終盤に、浮世絵の版元の永寿堂が多くの宣伝を込めている。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
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