葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「五百らかん寺さゞゐどう」について説明する。
この浮世絵の五百羅漢寺は、現在の江東区大島町にあった五百羅漢寺である。禅宗の一つである黄檗宗の天恩山五百羅漢寺を描いている。
境内にあった三匝堂は三階建ての高層建築で、らせん状の回廊に特徴がある。らせん状の回廊がサザエのようであるためさざえ堂とも呼ばれた。
ここから隅田川を隔てて富士山が良く見えた。
欄干にもたれた刀を差した武士の姿も見られる。
左端の老人が背負った風呂敷には、山型に巴紋の永寿堂の家紋が見える。
富士山を見ながらくつろぐ人々のこころの表現がある。
この浮世絵の画中のほとんどが後ろ向きで描いている。
現在の五百羅漢寺は、1855年の安政の大地震では東西羅漢堂が倒壊するなどの大被害を受けた。
明治以降に寺は衰退し、1887年には東京都墨田区緑4丁目移転した。
さらに1908年末に現在地の東京都目黒区下目黒へ再移転した。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
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