歌川広重-名所江戸百景-73-夏-はねたのわたし 辨天の社  解説

歌川広重 名所江戸百景 はねたのわたし 辨天の社  解説 名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-73-夏-はねたのわたし 辨天の社  解説
              

現在の住所:墨田区立花(旧「撫子の渡し」周辺。東武亀戸線・東あずま駅北側、隅田川沿い。 
緯度経度 :緯度:35.7107 経度139.8268
出版   :1858年8月   年齢:62歳

観光ガイド風解説:「はねたのわたし 辨天の社」
■ はじめに
歌川広重の『名所江戸百景』は、江戸の名所と四季折々の風景を描いた全119図の大作です。
その中で「はねたのわたし 辨天の社」は、江戸近郊の人々の生活と信仰、そして水辺の風景を見事に融合させた作品です。
ここで描かれている「羽根田(はねた)の渡し」は、江戸市中から隅田川を越え、北東方面に向かう人々が利用した渡し場です。
さらに、川辺に祀られた弁天社が庶民信仰の場として描き込まれており、広重は水辺と人々の営みを柔らかなタッチで表現しています。

「はねたのわたし」とは
現在の地名でいうと東京都足立区付近、隅田川の中流域にあった渡し場です。
江戸から北関東方面へ向かう際に利用され、庶民にとっては身近な交通路です。
当時、隅田川や荒川には数多くの渡し場がありました。
橋の建設が制限されていたため、渡し船は人々の生活・商業・旅に欠かせない交通インフラです。
羽根田の渡しもそのひとつで、農民や商人、参詣者が行き交った場所です。

渡し場の近くに祀られた弁天社は、音楽や水の神として知られる弁財天を祀るもので、人々の信仰を集めていました。
川辺の安全、商売繁盛、芸事の上達を祈る場として親しまれたと伝えられます。

■ 絵の見どころ
羽田から川崎大師までの渡し舟の上から江戸湾をみたものです。
船頭の足と舟の艪に囲まれた三角形の向こうの林の中に弁天社があります。
羽田弁才天は、多摩川が運んだ土砂でできた洲です。
扇ヶ浜の要島にあるため、要島弁才天ともいいます。
松林と葦の茂る海面は、海水と淡水の入り交じるところで、海老取川と呼ばれました。
要島には、風や波による災害を防ぐという願いを込めて、法華軽の文字を写した石を積み重ねてできたという伝説があります。
はじめは島まで舟で行き来していましたが、多くの参詣者があったため、付近が埋め立てられました。
参道が築かれ、最初は沖合いにあった常夜灯までが陸地となりました。

左に羽田弁才天社が見えます。
正面に常夜灯があり、手前には投網漁の船が見えます。
眼前が多摩川で、足元が羽田のお渡し船になります。
お渡し船の艪が大きく表現されています。

■ 現代の「はねたのわたし 辨天の社」
現在、羽根田の渡しの正確な跡地は残っていません。
足立区周辺の隅田川沿いには渡し場跡を記す碑や案内板があり、当時の交通の姿を想像することができます。
また、辨天社にちなむ小祠も周辺に残り、かつての風景を偲ばせます。

隅田川沿いは現在遊歩道や公園として整備され、ウォーキングやサイクリングを楽しみながら当時の景観を思い浮かべることができます。
現代でも屋形船や遊覧船に乗れば、江戸の人々が見たであろう川の風景に近いものを体感できます。
足立区や荒川区の郷土資料館では、江戸時代の渡しや水運についての展示があります。

■ 観光ガイドのおすすめポイント
①隅田川テラス散策
羽根田渡し跡と伝わる付近を散策し、川辺の広がりを楽しみましょう。

②辨天信仰の小祠めぐり
周辺には弁財天を祀る社が点在し、水と信仰の結びつきを感じられます。

③郷土資料館で学ぶ
足立区郷土博物館などでは渡し場の歴史を学ぶことができます。
浮世絵の風景が実際にどのような生活の場だったのか理解が深まります。

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