東海道五十三次の解説 42 宮

東海道五十三次

桑名宿から宮宿まで27.5km 北緯35度07分13秒 東経136度54分25秒
 
宮宿は、東海道五十三次の41番目の宿場です。
中山道垂井宿にいたる脇街道・美濃街道や佐屋街道との分岐点です。
一般には宮の宿と呼ばれることが多いです。
幕府や尾張藩の公文書では熱田宿と記されています。
現在は愛知県名古屋市熱田区になります。
東海道でも最大の宿場で、1843年には本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠屋が248軒、家数は2924軒、人口は10,342人です。

熱田神宮の門前町で、港町でもあります。
尾張藩により名古屋城下、岐阜と並び町奉行の管轄地とされていました。

熱田神宮は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社です。
古くから「熱田さん」と呼ばれて親しまれています。
昔は伊勢湾に突出した岬上に位置していました。
周辺は干拓が進んで、現在はその面影は見られません。
初詣には毎年200万人以上の参拝客が訪れます。

三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られています。
草薙剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわました。
建物は伊勢神宮と同じ神明造で、1893年までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式でした。

①「保永堂版」
 熱田神宮の門前町ということから、宮という地名になったといわれています。
 ここでは毎年5月5日に馬の塔といわれる、神事が行われていました。
 馬の塔とは、近郊の村々から馬を奉納するという神事です。
 
 神宮の馬追の祭りに出る駈馬(かけうま)を描いています。
 この祭りの馬には神が降臨されているとされます。
 この馬を二頭駈けさせ、その早さで、その年の豊作などを占っていました。
 かがり火の中での勇壮な祭りの様子を大胆に描いています。
 でも神宮の馬追の祭りは神宮では記録にありません。

 場面は、裸馬に荒薦を巻き、人々が伴走しながら献馬する場面を描いています。
 奥の藍染めの半纏を着た青組と手前の赤い有松絞の半纏を着た赤組が競争する場面です。
 人馬が通り過ぎる速度感を強調するため、鳥居の左側部分だけが画面の中に収まっています。
 
②「行書版」
 桑名宿と対になった構図です。
 桑名宿と同じで、乗合船が多数描かれています。
 熱田浜の鳥居を左に描いています。
 七里の渡し口としてにぎわった所です。乗合船は銭45文でここから桑名宿へ行けます。
 現在は鉄道があるので、乗合船はありません。

③「隷書版」
 浜全体を俯瞰して描いています。
 上方の5隻の帆船が逆三角形に描かれ海の大きさを表現しています。
 
④「北斎版」
 上方の2隻の帆船が大胆に描かれています。
 不思議なのは、この2隻には人が誰も乗っていません。
 思うに荷を降ろして停泊中なのかもしれません。

⑤「旅画像」
 画像がぼけていますが、JR熱田駅です。
 
 
⑥「スタンプ画像」
 JR熱田駅のスタンプです。

保永堂版

行書版

隷書版

北斎版

旅画像

スタンプ画像

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