葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「上総ノ海路」について説明する。
この浮世絵の上総は、現在の千葉県中南部一帯を指す。
この一帯は江戸時代は多くの湊があり、江戸と結ぶ江戸湾の海運で賑わっていて海運で大いに賑わっていた。「
「五大力船」または「弁財船」と言う50~500石積の小廻(こまわ)しの廻船がおもに米穀を積んでいた。
江戸−木更津間を往復した貨客輸送の木更津船(きさらづぶね)を描いている。
後ろの船は随分小さく見えるが、帆の張り方や船首の向きは、前面の船と同じである。
同型の2隻の船が精巧な描写で描いている。側面に開いた窓からは乗客であろう、3人の男たちが顔を確認できる。
その男たちの顔の大きさからすると、この船は長さが10m以上ある。
富士山は大きく弧を描いた帆の彼方に小さく配されている。
北斎の浮世絵は、西洋から学び地球が丸いことを知っていて、円い水平線を描いている。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
コメント