葛飾北斎の浮世絵、「富嶽三十六景」の「凱風快晴」について説明する。
浮世絵で富士山と言えば、すぐ頭に浮かぶのがこの図で、赤富士と呼ばれ有名である。
「神奈川沖浪裏」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる。
1816年に刊行した浮世絵『北斎漫画五編』に、無題ではあるが、富士山を主題とした作品を載せている。
本図が甲斐国側か駿河国側か、どちらから描いたかは、結論付けられていない。
浮世絵の構図は「山下白雨」とともに、富士山を大きく正面から描いた作品で、画面下には樹海、空にはいわし雲が描かれ、富士山の山頂には雪渓が残る。
「凱風」とは、夏に吹く柔らかな南風を意味する。
題名や描写に、朝を示す情報は無い。朝日で赤くなっているのなら、雪も赤く摺られるはずである。
これらの点から、富士山の茶色い山肌を、快晴の空の下で明るく照らされているのを強調するために赤くした。
「赤富士」という現象が知られるにつれて、「赤富士」という名称が浸透したという見方がある。
「凱風快晴」の版木は、アウトラインを摺る主版(おもはん)1枚と色の部分を摺る色板(いろいた)2枚のわずか3枚。
版木に使われている山桜は、当時は高価であったため、主版以外の色板は両面を無駄なく使用している。
この作品は、版木4面を使い摺り上げます。
通常、浮世絵の版木数は5枚前後、摺りの回数も、10回~20回の作品が多いのに対し、「凱風快晴」の摺り回数は7回です。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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