東海道五十三次の解説 31 舞坂

東海道五十三次

荒井宿から舞坂宿まで5.9km 北緯34度41分09秒 東経137度38分04秒  

舞坂宿は、東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて30番目の宿場町です。
現在の静岡県浜松市中央区舞阪町になります。

浜名湖東岸の今切口に面した標高約3m前後の低地に立地しています。
北に新川があり、西に浜名湖(今切口)に面し、南に遠州灘があります。

旧来江戸時代の地名は「舞坂」でしたが、現在は「舞阪」で正式です。

1709年に舞阪宿を始め、浜松・新居・白須賀・二川・吉田の6宿は、公的旅行では東海道を利用するよう嘆願書が出されました。

本陣2、脇本陣1軒がありました。

旧東海道では唯一の脇本陣遺構があります。
旧東海道では、この舞坂宿にのみ脇本陣が現存しています。
脇本陣は主屋、繋ぎ棟、書院棟で構成されています。
書院棟は1838年の建築です。
無料で見学できます。

北鴈木(きたがんげ)が有名です。
浜名湖今切渡しの舞坂宿側の渡船場跡です。
1657年から1616年にかけて構築されました。
その後、江戸時代には災害で幾度か修復されています。
雁木とは階段状になっている船着場のことです。
地元では「がんげ」と昔からいっています。
舞坂宿には三ヶ所の渡船場があります。
南側は主に荷物の積み降ろしをした渡荷場です。
真ん中は旅人が一番多く利用した主要渡船場で本雁木と呼ばれています。
北雁木は主に大名や幕府公用役人が利用したところです。
往還から幅十間(約18m)の石畳が水際まで敷きつめられています。

①「保永堂版」
決壊した場所を「今切れた」との意味で「今切」と呼びます。
「今切の渡し」と呼ばれた渡し船が行き交うようになりました。
手前の並んだ杭は波除杭で遠州灘の荒波から渡し船を守るために幕府が築いたものです。
この位置からも遠く富士を臨むことができます。

②「行書版」
舞坂港を描いています。
帆を降ろして入港してくる船と船待ちをする旅人の風景です。

③「隷書版」
舞坂港を描いています。
旅人の船への乗り降りを描いています。 

④「北斎版」
舞坂港を描いています。 
船待ちをする旅人の風景です。
旅人の荷物を船に乗せる場面と思われます。

⑤「旅画像」
 北鴈木です。
 
⑥「スタンプ画像」
 脇本陣のスタンプです。 
 

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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