東海道五十三次の解説 44 四日市

東海道五十三次

石薬師宿から四日市宿まで10.8km 北緯34度54分16秒 東経136度32分53秒
 
四日市宿は、東海道五十三次の43番目の宿場です。

三重県四日市市です。
江戸時代以前から市場が開かれ賑わっていた宿場です。
江戸時代以前から毎月4日に大きな市が立つようになりました。
この宿場は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠は111軒という中規模の宿場です。
このあたりは、昔は那古浦(なこのうら)と呼ばれていました。

幕府直轄の天領で、代官所が置かれていました。
宮宿との間に「十里の渡し」があります。

東海道四日市宿資料館には、戦国時代から昭和初期の各種資料 旧東海道宿場町の史料、地域芸能資料、岡田屋呉服店の歴史が展示されています。
資料館の建物は、旧東海道四日市宿の問屋場跡にあった旧・福生医院の建物です。
この建物の壁・床の補修耐震工事を施し、展示パネル・ケースを設置しています。

「杖衝坂(つえつきざか)」東海道では箱根、鈴鹿峠に次ぐ難所のひとつです。
日本武尊が東征の帰りに極度の疲労のため、腰の剣を杖にして登ったという急坂です。
杖突坂は、内部川より約500m南にあって坂の上までの距離約100m、比高約20m強の東海道の道筋の中でも急坂となっています。
大正の末期頃、この坂を自動車が登り切れないため、坂の下の民家の牛の力を借りて登ったというエピソードも残されています。
この坂は、自動車をはじめ歩行者にも難所であったため、昭和の初期に、丘陵の中腹にゆるやかな坂道を新設しました。

四日市市の人口は県庁所在地の津市を凌いで三重県内最多です。
国から施行時特例市と保健所政令市の指定を受けています。
都市雇用圏の人口は、東海地方では名古屋市、浜松市、静岡市、岐阜市、豊橋市に次いで第6位です。
三重県という県名は、かつて四日市市が属していた郡名が由来となっています。

①「保永堂版」
 三重川(三滝川)あたりの様子です。
 左奥の集落の向こうに立つ5つの帆柱からこの辺りがその河口付近であることが分かります。
 目に飛び込んでくるのは、風に激しく煽られる柳とその根元で風に翻弄される男の姿です。
 柳枝のしなり具合からこの地方の風の強さがわかります。
 吹き飛ばされた笠をあわてて追いかける仕草と表情は何とも面白いです。
 画面右にも強風の中、慎重に歩を進める旅人の姿が見えます
 広重の作の中でも風の動きに着目した珍しい作品です。

②「行書版」
 伊勢街道へ別れる「日永追分(ひながのおいわけ)」あたりの風景です。
 日永追分は左伊勢参宮道、右京大坂と石の道標に書かれています。
 左の茶屋の看板には名物饅頭とあります。
 茶屋の中で饅頭を食べる旅人が描かれています。
 鳥居の向こうの馬上の3人は、お伊勢参りの旅人と思われます。
 
③「隷書版」
 行書版と同じく日永追分あたりの風景です。
 行書版よりも、日永追分の様子がよくわかります。
 
④「北斎版」
 行書版、隷書版と同じく日永追分あたりの風景です。
 日永追分の参宮道の道標があります。
 この図も茶屋の看板に名物饅頭とあります。

⑤「旅画像」
 史跡 采女一里塚の場所です。
 
⑥「スタンプ画像」
 近鉄 四日市駅のスタンプです。 

保永堂版

行書版

隷書版

北斎版

旅画像

スタンプ画像

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