葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「東都駿台」について説明する。
この浮世絵の駿台は、現在の文京区本郷に位置する予備校の街として知られた神田駿河台のことである。
今の御茶ノ水駅付近の、神田川の南側の台地のことを指す。
このあたりには幕臣が多く住んでいたことから駿河台と名づけられた。
この絵は、その駿河台を、神田川の北側である湯島側から眺めた構図と思われる。
神田界隈ではここだけが高台であったため、富士山がよく見えたので富士見坂と呼ばれた。
季節は新緑の時期で、周囲に繁る木々や野に生えた草を3種の鮮やかな緑で表している。
眼下に見える神田川の青とも見事に調和して、画面全体が爽やかにまとまっている。
画面中央の崖下に流れる川は、神田川である。
神田川は、台地を刳り抜いて通した。
また、江戸城の外堀を兼ねていたという機能面から、両岸を切り立った壁に囲まれている。
ところがこの絵の中の神田川は、普通の川のように描かれており、手前のほうが聊か急な斜面と言うことになっている。
水道橋あたりから見れば、あるいはこれに近く見えるかもしれないが、湯島付近からは決してこのようには見えない。
この浮世絵は絵のなかでは、神田川に通じる斜面を、大勢の人々が行きかっている。
坂道を往来する人々は、草を運ぶ農夫、額に扇をかざす者、お供を連れた武家の姿、小僧、荷を担ぐ行商人、巡礼をする者など多彩である。
誰一人として富士に気を留めていないことと、男性ばかりである。
画中に描かれた人物たちの動きもさまざまで面白い。
浮世絵『北斎漫画』の中に登場する人物も描かれている。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
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