浮世絵 歌川広重 名所江戸百景 101-冬 よし原日本堤  解説

歌川広重 名所江戸百景 よし原日本堤  解説 名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-101-冬-よし原日本堤  解説
              
現在の住所:台東区 日本堤付近 
緯度経度 :緯度:35.7310 経度139.7950
出版   :1857年4月  年齢:61歳

観光ガイド風解説:「よし原日本堤」
■はじめに
歌川広重の『名所江戸百景』は、江戸の街並みや自然、庶民の暮らしを四季折々に描いた浮世絵の集大成です。
その中で「よし原日本堤」は、江戸最大の歓楽街・吉原遊廓へと至る土手道、日本堤を舞台にしています。
吉原は江戸の社交場であり、文化発信地としても重要な存在でした。
広重はそこへ向かう人々の姿を描き、当時の人々の憧れや高揚感を巧みに表現しています。

■日本堤と吉原遊廓
日本堤は、隅田川東岸の低湿地を洪水から守るために築かれた土手道です。
浅草から北東へ延び、吉原遊廓へと続く主要な通路としても利用されました。
吉原は1617年、幕府公認の遊郭として誕生し、後に浅草の日本堤近くへ移転しました。
江戸の人口が増えるにつれて繁栄し、太夫や花魁などが登場して独特の文化を育みました。
吉原は「夢の町」とも呼ばれ、町人や武士にとって一度は足を運びたい憧れの場所です。
歌舞伎や文学と深く関わり、江戸の流行の発信地となりました。

■絵のみどころ
家康は荒川の氾濫から市中を守るため全国の大名からの賦役で1500mの堤防をつくりました。

日本堤の名称の由来には二説あり、一つは日本中の大名が参加した、もう一つは北東の隅田川の洪水を防ぐ堤防に対して二本目のということです。
1657年に吉原が移ってくると、吉原に通う道となり、両脇には百軒以上の茶屋が立ち並びました。
中央には掛茶屋が描かれています。
右の中央は、吉原帰りの客が別れを惜しんで振り返る見返り柳です。
そこを左に曲がって衣紋坂をくだると大門があり、吉原に入ります。
木立の向こうに霞んで見える屋根が吉原です。

■現代の日本堤と吉原跡
現在の日本堤は台東区清川・日本堤周辺にその名を残しています。
土手としての姿は失われましたが、地名に江戸の記憶をとどめています。
遊廓の町割りは今も残され、台東区千束周辺の町並みに見ることができます。
かつての大門跡や見返り柳跡などは、江戸情緒を伝える史跡となっています。
浅草寺や花やしきとあわせて散策すれば、江戸の歓楽と信仰の両面を感じられるコースになります。

■観光ガイドおすすめポイント
①吉原大門跡
吉原遊廓の唯一の出入口です。
遊郭へ入る人々が一度は振り返ったとされる「見返り柳」の逸話も伝わります。

②日本堤の名残を歩く
現在の台東区日本堤・清川地区を散策すれば、かつて吉原へと続いた道筋を体感できます。

③文学碑・史跡巡り
近隣には吉原を題材とした文学碑や史跡が点在しており、歩けば江戸文化をより深く味わえます。

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