
歌川広重-名所江戸百景-91-秋-猿わか町よるの景 解説
現在の住所:台東区 浅草 猿若町付近
緯度経度 :緯度:35.7140 経度139.7960
出版 :1856年9月 年齢:60歳
観光ガイド風解説:「猿わか町よるの景」
■ はじめに
歌川広重の『名所江戸百景』は、江戸庶民の生活と都市文化を鮮やかに切り取った浮世絵シリーズです。
その中でも「猿わか町よるの景」は、江戸の夜の歓楽を描いた数少ない作品として特に注目されています。
猿若町(現・東京都台東区浅草六丁目付近)は江戸三座の芝居小屋が集まる芝居町です。
昼は芝居見物、夜は芝居帰りの客でにぎわった繁華街でした。
広重は、その夜の賑わいを幻想的に描き、江戸文化の華やかさを浮かび上がらせています。
■ 猿若町とは?
猿若町は、1841年に歌舞伎役者・猿若勘三郎に由来して名づけられました。
江戸幕府の命により、それまで市中各所にあった芝居小屋がここへ集められました。
中村座、市村座、森田座という「江戸三座」が猿若町に並び立ち、江戸随一の芝居町として栄えました。
江戸庶民は「芝居町に行く」ことを一大娯楽として楽しみ、昼間から夜まで芝居や茶屋で賑わいました。
猿若町は浅草寺の門前町にも近く、芝居・参拝・行楽が一体となった庶民文化の中心地でした。
■ 絵の見どころ
江戸で歌舞伎の興行権が認められたのは1651年のことで中村座、市村座、森田座、山村座の四座でした。
山村座は1714年に絵島事件が元で廃業します。
以後江戸三座として興行していました。
1841年の火災で三座は焼失してします。
幕府は替地として浅草寺の北東一カ所に三座をまとめて移転させてしまいます。
地名は江戸歌舞伎の創始者猿若勘三郎にちなみ猿若町としました。
図は右側手前から森田座、市村座、中村座の順にやぐら並び、屋根には各座を示す御免櫓が立っています。
左側は芝居茶屋です。
暮れ六ツの歌舞伎の上演が終わり、帰宅する人々を描いています。
■ 現代の猿若町跡
猿若町は、現在の東京都台東区浅草六丁目付近です。
大通りに面した一帯に芝居小屋が並んでいました。
現在は住宅街や商店街となっています。
記念碑や案内板でその歴史を知ることができます。
猿若町の芝居小屋はやがて日本橋や木挽町に移転しました。
「芝居町=猿若町」というイメージは江戸庶民の記憶に深く刻まれました。
現代の歌舞伎座や国立劇場を訪れる際も、猿若町を原点とする江戸芝居の伝統を感じることができます。
浅草観光の際、雷門や浅草寺とあわせて猿若町跡を訪ねれば、江戸時代の芝居文化の中心地を歩くことができます。
■ 観光ガイドのおすすめポイント
①昼と夜の楽しみ
浅草寺周辺を昼間観光したあと、夕暮れに猿若町跡を訪れると、浮世絵に描かれた夜の賑わいを想像しやすくなります。
②芝居文化に触れる
江戸東京博物館や国立劇場では、猿若町の芝居文化を紹介する展示が行われることがあります。
③浅草の夜景散策
猿若町跡から浅草寺方面に歩けば、現代の提灯やライトアップされた五重塔が目に入り、広重の絵の世界と現代の夜景が重なります。

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