歌川広重-名所江戸百景-12-春-上野山した 解説

★春12 上野山した 名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-12-春-上野山した 解説

              

現在の住所:台東区 上野6丁目付近

緯度経度 :緯度35.7100:経度139.7730

出版   :1858年10月 年齢:62歳 

解説

<1> はじめに

「上野山した」は、江戸庶民にとって憩いの場であった上野の山のふもと、現在の不忍池付近の賑わいを描いた作品です。

清水堂や寛永寺を中心とした信仰の場でありながら、池の周囲には茶屋や露店が立ち並び、人々の生活と娯楽が交錯する華やかな景観が展開されていました。

広重はその「山下」の視点から、江戸の人々の日常と賑わいを切り取っています。

<2> 上野山とその歴史

上野山(東叡山寛永寺)は、1625年に天海僧正が徳川幕府の祈願所として創建しました。

徳川将軍家の菩提寺でもあり、江戸の精神的な中枢としての役割を担いました。

庶民に開かれた山とはいえ、上野は武家や僧侶だけの場所ではありませんでした。

春は桜見物、夏は池の涼風、秋は紅葉、冬は雪景色と、庶民にとっても行楽地の代表です。

上野山のふもとは、江戸人の憩いの場だったのです。

「上野山した」とは、清水堂などがある高台から少し下った場所を意味します。

池のほとりや参道には茶屋や屋台が並び、境内に出入りする人々が集まる賑わいの場所でした。

不忍池と山下の景観は

不忍池は、上野山の東側に位置する天然の池で、その周囲には柳や桜が植えられ、散策や舟遊びが楽しめる場所でした。

山下には「池之端」と呼ばれる茶屋街が広がり、参拝や散策の人々でにぎわいました。

団子屋、酒屋、芝居小屋のような興行もあり、娯楽と商業の香りが漂っていました。

「山下」を訪れる人々は、寺参りの帰りに池の景色を眺め、茶屋で一服し、舟に乗り、土産を買う。

信仰と娯楽が見事に融合した光景は、まさに江戸らしい文化の象徴でした。

<3> 絵の見どころ

山下を行き交う人々が細かく描かれています。

買い物をする人、子どもを連れた家族、茶屋で休む客など、庶民の生活が活写されています。

茶屋の暖簾や屋根の描写には、実際の池之端の風情が反映されています。

団子や甘酒を売る茶屋は、江戸の食文化でもありました。

上野寛永寺の門前を流れる忍川の三橋を渡ると広がる風景がこの図です。

右のめしやの暖簾を掲げた店が「いせや」です。

店の一階には大きな魚が並べられ、二階は暖簾にあるしそ飯をもてなす座敷です。

店の隣、土堤の陰に見える鳥居は五条天神です。

路上では、揃いの着物で蛇の目傘を差した女性の一行です。寛永寺境内の方向に進んでいます。

<4>  江戸庶民と上野山下の楽しみ方

春には桜が満開となり、山下は花見客であふれました。

清水堂の舞台から眺める桜も美しかったのですが、池の周辺での宴会や散策も人気でした。

不忍池では貸し舟が盛んで、家族や友人同士で舟に乗り、池の中央にある弁天堂を拝んだり、景色を楽しんだりしました。

山下は江戸市中からも近く、神田や浅草の町人が気軽に訪れることができました。

茶屋街は市中の情報交換の場ともなり、江戸の社交場としての役割も果たしました。

<5> 現代の上野山下を歩く

現在も不忍池は健在で、特に夏の蓮の花が有名です。

江戸時代と同じように散策やボート遊びを楽しむことができます。

江戸時代の茶屋街は姿を消しましたが、「池之端」という地名に当時の名残が残っています。

周辺には今も老舗の料亭や和菓子店があり、江戸の文化を感じさせてくれます。

上野恩賜公園の一部として整備された場所は、動物園や博物館、美術館とともに、自然と文化が融合する場所として多くの観光客を引き寄せています。

<6>観光ガイド

①清水観音堂の舞台

 広重が描いた景色を体感できる絶好のスポット。

②不忍池の蓮とボート

 夏は一面の蓮、春秋は散策、冬は渡り鳥と四季を通じて楽しめます。

➂弁天堂

 中島に建つ弁天堂は今も参拝者でにぎわいます。

➃池之端散策

 老舗の料亭や甘味処を巡りながら、江戸の行楽気分を味わえます。

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