東海道五十三次の解説 30 浜松

東海道五十三次

舞坂宿から浜松宿まで10.9km 北緯34度42分14秒 東経137度44分04秒   

浜松宿は、東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて29番目の宿場町です。
実距離では、江戸から京との中間にあたり、名実共に関東関西の中間地域です。
遠江国敷知郡(ふちごおり)の中心で、司法行政を浜松藩が取り仕切っていました。

浜松市の中心部で、浜松城の城下町として本陣が6軒、旅籠が94軒ありました。
遠江国・駿河国を通じて最大の宿場でした。

天竜川の右岸にあたり、洪水の度に川の流れが変わり、現在の川岸からは6kmほど離れています。

浜松城は、野面積みの石垣で有名です。
歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわれました。
浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城です。
築城時の城主は不明です。

16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。
この頃の曳馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記されています。
徳川家康が1570年に曳馬城に入城し、浜松城へと改称しました。
1873年の廃城令により、浜松城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、二の丸は宅地化しました。
天守曲輪と本丸の一部は大きな開発を免れ、1950年の浜松城公園として開設しました。
1586年に家康は浜松から駿府に本拠を移しました。
家康の在城期間は29歳から45歳までの17年になります。

浜松市の名物は、お茶やミカン、セロリ、パセリ、ジャガイモ、ガーベラなどの農産物です。
ウナギやシラス、トラフグなどの水産物も有名です。

①「保永堂版」
街道脇の大きな杉の木の根元で、焚火をしながら暖をとる旅人たちの姿です。
焚火から立ちのぼる煙が黒から白へ変化しています。
手前の土手の草も枯れた色です。
刈入れの終わった田んぼに立て札の立つ松林があります。
これは「颯々松(さざんざのまつ)」と呼ばれた旧跡です。
右奥に浜松の宿場があり、浜松城の天守閣が見えます。

②「行書版」
遠州灘を望む海岸で三本の松を眺めています。
籠いっぱいに松葉を詰め込んだ「松葉掻き」がいます。
海では帆立船が6艘が確認できます。

③「隷書版」
 暗く波立つ海辺は、表現が誇張されて、すごい波の形です。
 ここにも松葉掻きが登場します。

④「北斎版」
 旅人が休憩している様子です。
 わらの束が3つあることから季節は秋と思われます。

⑤「旅画像」
 浜松駅です。
 
⑥「スタンプ画像」
 JR浜松駅の切符です。 
 

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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