東海道五十三次の解説 34 二川

東海道五十三次

吉田宿から二川宿まで6.1km  北緯34度43分26秒 東経137度27分00秒 

二川宿は、東海道五十三次の33番目の宿場です。
三河国最東端の宿場町です。
1601年の東海道設定当初から、三河国渥美郡二川村と大岩村の2村で宿場として人馬継立業務を担当していました。

町並は12町約1.3kmの長さでした。二川宿は6町36間、大岩町は5町40間です。
二川宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が約30軒ありました。
大岩町は宿ではなく町であったため旅籠はありませんでした。

旧二川宿と旧加宿大岩町の中間に東海道本線二川駅が設置されました。
明治後も残った本陣の一部は1988年に改修・復元され、資料館が併設されました。
本陣一帯は豊橋市の史跡になりました。
1807年以降の宿帳33冊は愛知県の有形民俗文化財とされています。

現在の愛知県豊橋市二川町と大岩町になります。

①「保永堂版」
 猿ヶ馬場周辺の夕暮を描いています。
 猿ヶ馬場は姫小松の景勝の地として知られています。
 奥まで見渡せるなだらかな平原にはこの姫小松が無数に繁茂しています。
 茶店の看板には「名物かしは餅」とあります。
 この辺の名物はかしわ餅でした。
 道を行く3人の女性は、瞽女(ごぜ)です。
 瞽女は盲目の女性たちことです。
 彼女らは諸国を廻りながら三味線や琵琶を弾いて「瞽女唄」を披露して生計を立てていました。
 3人とも各々楽器を持ち運んでいるので瞽女とわかります。

②「行書版」
 「名物かしは餅」の看板の茶店です。
 猿ヶ馬場周辺はさみしいところです。
 この店は有名であったので、多くの旅人の憩いの場所になっています。

③「隷書版」
 「名物かしは餅」の看板の茶店です。
  二つの籠は弥次喜多を匂わせています。

④「北斎版」
 場所は特定できませんが、馬上の旅人が休憩がてら景色を眺めています。

⑤「旅画像」
 本陣資料館とJR二川駅です。
 
⑥「スタンプ画像」
 本陣資料館のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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