東海道五十三次の解説 33 白須賀

東海道五十三次

二川宿から白須賀宿まで5.8km 北緯34度41分19秒 東経137度30分03秒  

白須賀宿は、東海道五十三次の32番目の宿場です。

遠江国最西端で、且つ、現在の47都道府県でも静岡県最西端の宿場町です。
西の加宿境宿で売られていた柏餅は、白須賀宿の名物として有名です。
白須賀宿は元々は海岸近くにありました。

1707年に発生した宝永地震と津波により大きな被害を受けました。
その後潮見坂の上の高台に移されました。

町並みの長さは東西 で14町19間(約1.5キロメートルです。
宿内の人数及び家数は、加宿境宿村を含めて2,704人、613軒です。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋が27 軒で、宿場としては中規模です。

東海道本線敷設では、東の新居宿から白須賀宿へ至る潮見坂の勾配が蒸気機関車運転の障害となりました。
浜名湖沿岸の鷲津経由になったために、街の発展はなくなりました。
格子戸のある古い民家や、間口の狭い家並みなど、江戸時代の面影を残しています。

東海道宿駅開設400年を記念して設置された「おんやど白須賀」があります。
おんやど白須賀には、白須賀宿の歴史、浮世絵や和歌、道中記などの史料があります。
文化に関するパネルやジオラマなどの展示があります。

宿場が廃止された後の1889年に白須賀町が成立し、1955年に湖西町に編入されました。
現在の静岡県湖西市白須賀になります。
 
①「保永堂版」
 白須賀宿への道中、汐見坂からは遠州灘の絶景が見られる。
 手前の下半分を半円状にくり抜いて丘陵を描きました。
 これにより、汐見坂の急勾配を表現しています。
 奥の坂道を大名行列の一行が進んでいきます。
 遠景には真一文字に水平線が引かれています。
 海には7艘の帆船が浮んでいます。
 行列の一行の荷物の中に赤い2つの狭箱があります。
 狭箱に広重の「ヒロ」を表す紋様があります。
 狭箱に広重の主張が表現されています。

②「行書版」
 汐見坂からは遠州灘の絶景が見られ風景です。
 旅人がこの絶景を休憩しながら楽しんでいます。

③「隷書版」
 京から江戸に向かう途中で初めて海を見る場所です。
 また、汐見坂の急勾配と道の狭さを表現しています。

④「北斎版」
 旅人が汐見坂の高台から遠州灘の絶景を眺めています。

⑤「旅画像」
 白須賀宿の案内板です。
 
⑥「スタンプ画像」
 白須賀宿のスタンプ、道の駅なのかは忘れました。 
 

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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