亀山宿から庄野宿まで7.9km: 北緯34度53分00秒 東経136度31分29秒
庄野宿は、東海道五十三次の45番目の宿場です。
現在は三重県鈴鹿市になります。
石薬師宿から庄野宿までは3km弱と、東海道で2番目に短いです。
庄野宿は東海道で最も遅い1624年に設置されました。
石薬師宿と同じように宿の経営は苦しかったようです。
当初は継立人馬は100人、100頭と定められていました。
1758年には継立人馬は30人、20頭と減らしてもらっています。
現在の庄野町は鈴鹿川左岸を走る国道1号線とJR関西本線に挟まれたひっそりした町です。
町並みも古い建物の多く昔の面影を残しています。
当時の宿場は本陣1、脇本陣1、旅籠15軒、人口855人でした。
庄野宿については庄野宿資料館が庄野宿の歴史博物館になり、くわしく知ることができます。
庄野宿資料館は1854年10月に建てられた木造二階切妻造浅瓦葺の住宅建物を使用しています。
建物は「旧小林家住宅」として、1996年3月12日に主屋の一部と蔵が鈴鹿市の有形文化財に指定されました。
小林家は江戸時代には油問屋を営んでいました。
建物は江戸末期の「大型町家建築」といわれ、建築当時の棟札が現存しています。
鈴鹿市が建物を購入し、主屋の一部を創建当時の姿に復元しました。
鈴鹿市指定文化財・庄野宿関係文書など宿場の営みを記録した各種文書や資料(問屋場関係資料、宿帳、高札など)を中心に展示しています。
①「保永堂版」
庄野は、保永堂版「東海道五十三次之内」のシリーズ中でも最も優れた名作とされるひとつです。
「白雨」という副題がついています。「白雨」とは激しい夕立のことです。街道の坂道で突然の夕立に見舞われ雨宿りの場所を探して走り出す旅人たちの姿を躍動感あふれる表現で描いています。
手前に置かれた急勾配の坂を必死に駆け登る駕籠かきと、転がり落ちるように下る旅人と農夫が描かれています。
激しい夕立の場面を表現するため、坂と直角に交差して降り注ぐ雨脚の描写、どす黒い雨雲を思わせる空のぼかし、雨の飛沫に煙る竹林の濃淡の様子のすべてで表現しています。
旅人の番傘に版元を示す「竹のうち」や「五十三次」としっかりと宣伝されている。この宣伝文字が入っているのは初版です。
「庄野」は「蒲原」と並ぶ傑作とされています。「蒲原」が深々と降る雪をテーマにしたのに対して「庄野」では激しい夕立が描かれています。画中での人の動きもあります。静と動の対比があります。季節にも冬と夏の対比があります。
②「行書版」
問屋場の光景です。
馬に荷を積むもの、草鞋の紐を結ぶもの、役人に話しかけるもの。
出発前に雰囲気を表現しています。
③「隷書版」
冬空で寒いため焚火にあたり暖を得ている風景です。
人通りも少なく寂しい風景です。
④「北斎版」
牛飼いの子供が遊んでいる光景です。
⑤「旅画像」
加佐登駅です。
⑥「スタンプ画像」
加佐登駅のスタンプです。
保永堂版

行書版

隷書版

北斎版

旅画像

スタンプ画像

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