葛飾北斎の浮世絵、「富嶽三十六景」の「深川万年橋下」について説明する。
この浮世絵の万年橋は、東西に流れる小名木川と南北に流れる隅田川の合流地点に架けられた橋である。
海抜の低かった深川では洪水対策のため、川の両岸の石積を高くしていた。
見事な曲線を描いた橋がまず目に飛び込んでくる。
この石積の上に架けられた橋は周囲よりも高い位置から富士を臨める絶好の見物スポットだったのかもしれない。
富士山は橋桁の間にひっそり描かれるが、そこに視線が向くようにとの思いか、水上の舟は富士山に舳先を向けて浮かんでいる。
深川万年橋は、清澄白河と日本橋のほぼ真ん中に位置している。白に近い水色の川は小名木川で奥で合流する深い青で描かれている川が隅田川です。
構図は、鳥居越しに富士山を見る、「鳥居見立て」の構図の代表的な浮世絵作品である。
作品の技術的観点では、先行する河村岷雪『百富士』「橋下」の発想や、北斎の文化年間の洋風版画的試作「たかはしのふじ」などの積み重ねの結果生まれたものと判断されます。
深川万年橋を富士山の鳥居と見立て、その場所を富士神霊の世界と見なし、生活する庶民を富士世界に包容せしめようという作意です。
信仰の中心点は富士山で、それは橋の下に浮かぶ舟の舳先が富士山の方向に向いている。
各舟は富士神霊と見えない金糸で繋がっている。橋の上から二人の男が舟の方向を覗いており、ここにも視線の繋がりが広がっている。
万年橋の上、中央やや左に、藍色の日傘が描かれている。これは、橋の手前上空から日差しがあることを物語ている。
万年橋に神霊が降臨しているかのような印象を与えるための考案ではないか。
万年橋自体が太鼓橋として弧を描いているので、日輪のようにも見える。
北斎が注視しているのは、庶民が生活するこの近景にあることがよく判かる。
富士浅間(仙元)の「千」と万年橋の「万」と読みとれば、鶴と亀のお目出度い対比図と見ることもできる。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
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