
歌川広重-名所江戸百景-110-冬-南品川鮫洲海岸 解説
現在の住所:港区 芝浦
緯度経度 :緯度:35.6444 経度:139.7479
出版 :1856年2月 年齢:60歳
観光ガイド風解説:「南品川鮫洲海岸」
■ はじめに
歌川広重が描いた『名所江戸百景』の一枚です。
「南品川鮫洲海岸」は、江戸の人々にとって憩いの海辺であり、また街道沿いのにぎわいを感じさせる景勝地を描いています。
品川宿の南に位置する鮫洲は、海と陸が近く交わる場所であり、潮干狩りや釣りを楽しむ庶民の姿が浮世絵に数多く残されています。
広重はこの地を、広大な海の広がりと富士山の遠望を背景に描き、江戸の旅情と行楽の魅力を一枚に凝縮しました。
■鮫洲とは
現在の東京都品川区南品川・東大井周辺です。
江戸時代には東海道の宿場・品川宿を抜けた先に広がる海辺の町でした。
かつて鮫が多く棲んでいた、あるいは海中の砂洲(さす)が語源ともいわれています。
鮫洲は「潮干狩りの名所」として広く知られていました。
江戸の庶民が春先から夏にかけて潮の引く浜辺に繰り出し、貝を掘りながら海風を楽しんだ行楽地です。
■絵の見どころ
東海道を高輪、品川と通って江戸の方向を望んでいます。
沖合いを進む二隻の帆かけ船のいるところが品川で、その下が海晏寺(かいあんじ)です。
この寺には、1251年に品川海上に浮き上がった大鮫の腹から聖観音の木像がでてきました。
これを鎌倉幕府に届けると、北条時頼が伽藍を建てて安置するように命じました。
この鮫から「鮫州」と名付けられました。
海岸では冬から春にかけて、海苔ひびと呼ばれる鹿朶を浅瀬にたてて、付着した海苔を収穫しました。
江戸の初めまでは浅草でとれた浅草海苔は、1854間には鮫州辺りで養殖されていました。
のんびりとした漁村と海岸線を上からとらえたもので、遠方の山は筑波山です。
■現代の鮫洲
現在、鮫洲の海岸線は埋め立てられ、当時の浜辺の面影は残されていません。
陸続きになった場所には住宅や道路が整備されています。
鮫洲八幡神社は江戸時代から残る神社で、現在でも地元の人々に信仰されています。
当時の面影を偲ぶ数少ないスポットです。
現代では「鮫洲」と聞くと鮫洲運転免許試験場を思い浮かべる人も多いでしょう。
この一帯がかつては江戸庶民の行楽地だったことを思うと、時代の変遷を感じます。
■観光ガイドのおすすめポイント
①旧東海道散策
品川宿から鮫洲にかけての旧東海道は、歴史的な雰囲気を残しています。
石碑や古い道筋をたどりながら歩くと、広重の描いた景観が立ち上がってきます。
②品川歴史館
品川の宿場町や鮫洲の歴史を学べる施設です。
浮世絵の複製展示もあり、広重の世界観を理解する助けになります。
③東京湾岸散策
現代の海岸線は当時とは違いますが、天王洲アイルや品川シーサイドなどウォーターフロントを散策すると、江戸の人々が感じた「海と街の近さ」を味わえます。

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