歌川広重-名所江戸百景-11-春-上野清水堂不忍ノ池 解説

名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-11-春-上野清水堂不忍ノ池 解説

              

現在の住所:台東区上野恩賜公園 不忍池

緯度経度 :緯度35.7108:経度139.7703

出版   :1856年4月  年齢:60歳 

解説

<1> はじめに

「上野清水堂 不忍ノ池」は、江戸有数の観光地である上野山(寛永寺)と、そのふもとに広がる不忍池を題材にしています。

京都・清水寺を思わせる舞台造りの堂と、水辺に広がる風光明媚な池の景観が一枚に収められ、江戸人が「東の都の名所」と誇った景色を今に伝えています。

<2> 上野清水堂と寛永寺とは

寛永寺は1625年、徳川家光の時代に天海僧正によって開かれた天台宗の大寺院です。

徳川幕府の祈願所として江戸城の鬼門を守り、江戸の精神的支柱となりました。

清水観音堂は不忍池を見下ろす高台に建てられた観音堂は、京都・清水寺を模して舞台造りの構造を持ちます。

江戸庶民はここから不忍池や江戸の町を一望でき、その絶景が人気を集めました。

観音堂は観音信仰の場であると同時に、池の景色を楽しむ行楽地でもありました。

信仰と娯楽が融合した場所は、江戸の庶民にとって格好の休日の行き先です。

不忍池の大きさは江戸時代には一周二十町(約2189m)あったと言われています。

明治以降は埋め立てられて半分程度に縮小しています。

不忍池は武蔵野台地の湧水を集めた天然の池で、面積は約11万㎡です。

かつては農業用水としても利用されていました。

江戸時代には桜や蓮が植えられ、景勝地として整備されました。

池の中央には人工島「中島」が築かれ、そこに弁才天を祀る弁天堂が建てられました。

琵琶湖の竹生島になぞらえて造られたと伝わり、江戸庶民の信仰と遊楽の中心地となりました。

春は桜、夏は蓮、秋は紅葉、冬は雪景色と、一年を通じて人々を楽しませました。

<3> 絵の見どころ

絵は清水堂の舞台から不忍池を望む構図で描かれています。

眼下に広がる池と、遠くに連なる山々や江戸の街並みが一望できる壮大な景観は、「江戸の展望台」です。

左側には清水堂の舞台が描かれ、欄干に寄りかかる人々の姿が見えます。

京都清水寺のミニチュアのような佇まいは、江戸人にとって憧れの京都を身近に感じさせました。

池の中央に浮かぶ中島、その上に佇む弁天堂も確認できます。

水面に反射する光が、静謐な雰囲気を演出しています。

澄んだ空気の中、遠くには富士山が堂々と描かれています。

江戸の名所絵に欠かせない存在として、信仰と景観美を両立させています。

堂の下の円を描く枝を持つ松は「月の松」です。

右の赤い建物は清水観音堂です。

右手前に桜が植えてあります。

左の出島が中島です。中島には数軒の料亭があり名物の蓮料理がありました。

<4>  江戸庶民と「上野山」の楽しみ方

人々は清水堂に参拝し、その後舞台から景色を眺めるのが定番コースでした。

不忍池を見下ろしながら酒や菓子を楽しむ人々も多く、庶民の社交場でもありました。

不忍池は貸し舟が出ており、池に浮かびながら弁天堂を拝んだり、景色を眺めたりするのが人気でした。

夏の夕涼みや花見の時期は特ににぎわいました。

上野は寺社や茶屋が集まる文化の香る場所で、多くの俳人や画家も訪れました。

<5> 現代の上野と不忍池

明治以降、寛永寺の境内地は上野恩賜公園となり、動物園や博物館、美術館など文化施設が集まる場所へと変貌しました。

今も清水観音堂や不忍池は往時の姿をとどめています。

夏には池一面を覆うハスの花が咲き、東京の都会とは思えない景色を楽しめます。

冬には水鳥が訪れ、四季折々の自然観察の場所となっています。

清水観音堂の舞台からの眺めは現在も健在です。

江戸の人々が感嘆した景色を、現代の私たちも同じ場所から味わうことができます。

<6>観光ガイド

①清水観音堂の舞台

 広重が描いた構図をそのまま体験できる場所です。

池と東京の街並みを一望できます。

②不忍池の四季

春の桜、夏のハス、秋の紅葉、冬の渡り鳥と、どの季節に訪れても楽しめます。

➂弁天堂参拝

池の中島にある弁天堂は今も多くの参拝者を集めています。

芸事や金運のご利益があるとされます。

➃上野恩賜公園散策

 博物館と美術館と動物園とあわせて、文化と自然を同時に楽しめるのも魅力です。

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