
歌川広重-名所江戸百景-3-春-山下町日比谷外さくら田 解説
現在の住所:中央区銀座5丁目付近
緯度経度 :緯度35.6730:経度139.7586
出版 :1857年12月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「山下町日比谷外さくら田」は、江戸城外郭の南西部、日比谷周辺を題材にしています。
桜並木が続く広々とした田園風景を描きながら、遠景には江戸城や町の姿を収めています。
自然と都市が調和する江戸ならではの景観を表現しています。
現在の皇居外苑や日比谷公園につながる地域にあたり、都市化される以前の面影を知ることができる貴重な図です。
<2> 山下町・日比谷外さくら田とは
江戸城の西の丸下に位置し、外堀に近い一帯です。
武家屋敷が多く立ち並ぶ中に、田畑や桜並木が広がっていました。
地名に残る「さくら田」は、田園風景の中に桜並木が整備されていたことが由来です。
春になると花が咲き誇り、江戸庶民や武士たちの目を楽しませました。
かつて日比谷は海に近い湿地帯でした。
江戸城普請の際に埋め立てられ、武家地や田畑として整備されました。
江戸の発展にともない、この一帯は武士の屋敷町からやがて市街地へと変貌していきました。
古くは姫御門と呼ばれた場所でした。
のちに山下御門と名称に変わり一帯も山下町となりました。
<3> 絵の見どころ
手前に広がるのは田畑で、その間を縫うように桜の並木道が伸びています。
江戸の都市の中に突然現れる、のどかな農村風景です。
この対比こそが、当時の人々に強い印象を与えました。
画面奥には江戸城の威容や武家屋敷の列が見えます。
農村的な桜田と、武家社会の象徴である江戸城の風景が一体となっています。
自然と権威が同居する江戸独特の景観が表現されています。
桜並木を歩く人々の姿が小さく描かれています。
花見を楽しむ庶民だけでなく、通行する武士や商人も見受けられ、庶民と武士の生活が交差する空間であったことを示しています。
全体に淡い色彩で彩られ、春爛漫の喜びが漂います。
桜の薄紅色と田畑の緑が調和し、春のうららかさを満喫できる作品です。
町人層が住む山下町の河岸です。
手前の左右に羽子板と中央nお上に空中を舞う追羽根が拡大されて描かれています。
手前の左下には門松が大きき描かれています。
右手の屋敷が笠間藩牧野家上屋敷です。
正面の白い長い建屋は佐賀藩松平家(鍋島)三十五万石です。
中央に火の見やぐらが見えます。
画面の左には山下御門、右に行くと数寄屋橋御門があります。
手前の石垣には日比谷御門と桜田御門がありました。
<4> 江戸庶民が感じた魅力
江戸庶民にとって桜は特別な存在です。
「さくら田」は花見の隠れた名所として知られていました。
上野や隅田川の花見ほどの規模ではありませんが、城下の近くで手軽に楽しめる桜の景観は、多くの人に親しまれました。
江戸の町は急速に都市化しましたが、この地域には田畑や自然が残っていました。都会の喧騒から少し離れて、自然に触れられる場所としての魅力がありました。
江戸城を望む桜田の風景は、武家社会の威厳と庶民の楽しみが共存する象徴的な場でした。
浮世絵に描かれたことで、「江戸の理想の春景色」として人々の心に刻まれました。
<5> 現代の山下町・日比谷を歩く
描いた桜田の地域は、現在の皇居外苑や日比谷公園にあたります。緑豊かな空間が広がり、現代でも四季折々の自然を楽しむことができます。
日本初の西洋式近代公園として整備された日比谷公園は、桜や花壇が美しい都会のオアシスです。春の桜の季節には、多くの人々が訪れます。
江戸城の外郭を構成した桜田門は現在も残り、国の重要文化財に指定されています。
幕末の桜田門外の変の舞台としても有名で、歴史ファンには必見の場所です。
霞が関・丸の内一帯のかつての田園風景はビジネス街へと変貌しました。
広重の浮世絵を片手に歩けば、都市化の中に往時の面影を重ね合わせることができます。
<6>観光ガイド
①皇居外苑の散策
広重が描いた田畑と桜並木の場所を、現代の緑豊かな空間で追体験できます。
②桜田門
江戸の歴史を感じられる重厚な石造りの門です。
写真映え場所としても人気があります。
➂日比谷公園
春には園内の桜が満開となり、浮世絵の「さくら田」を思わせる景色が広がります。
➃歴史散策と近代建築
官庁街やビジネス街の中で、江戸から現代への変遷を学ぶ楽しみがあります。
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