
歌川広重-名所江戸百景-42-春-玉川堤の花 解説
現在の住所:新宿区新宿1.2丁目付近
緯度経度 :緯度35.687415:経度139.713040
出版 :1856年2月 年齢:60歳
解説
<1> はじめに
「玉川堤の花」は、江戸の春を彩る花見の名所といえば、上野や隅田川と並んで有名だったのが「玉川堤」です。
川と桜並木を一体的に描き出しました。
<2>玉川堤とは
玉川堤は、現在の世田谷から調布、狛江あたりにかけての玉川の流域を指します。江戸時代、玉川の治水工事の一環として堤が築かれ、その護岸を兼ねて桜が植えられました。
桜は観賞用であると同時に、堤防を守るための役割も担っていました。
やがて桜が大きく育ち、川沿いに続く桜並木は「玉川堤の桜」として名所となり、江戸っ子たちの春の花見スポットとして賑わうようになります。
江戸時代の人々にとって花見は一大行事でした。
武士や町人を問わず、酒や弁当を持ち寄り、川辺に腰を下ろして花を愛でる。
玉川堤は都心からも比較的近く、舟遊びと花見が同時に楽しめる贅沢な場所として人気を集めました。
<3> 絵の見どころ
手前から奥へと桜並木が続き、川の流れとともに視線が遠方へ導かれます。
川面に映える桜は春爛漫の空気を伝え、季節感があふれています。
桜の下には、花見を楽しむ人々の小さな姿が描かれています。
宴を開く人、散策する人、舟で川遊びする人がいます。
桜の枝を大胆に画面手前に配置し、遠方の川景色とのコントラストで奥行きを生み出しました。
観る者はまるで自分が桜の下に立ち、川風を感じながら遠くを眺めているかのような感覚を味わえます。
画面を流れるのは、神田上水とともに江戸に水を供給した玉川上水です。
1653年から翌年にかけて敷設され、多摩川から水を引き、武蔵野を通って内藤新宿の裏手を流れていました。
1716年~1636年に堤の補強と美観を兼ねて桜の木が上水に沿って植えられました。
その桜が見事に満開となり、お揃いの傘を差した女性陣や子供連れをはじめ多くの人々が訪れています。
川に向かって左岸は信州高遠藩主内藤家の中屋敷で、辛うじて左端にその冠木門が見えます。
右岸は、内藤新宿の旅籠屋の裏手でしょう。
二階から客と一緒に身を乗り出す赤い着物の女は、飯盛女です。
多くの旅籠ではおんなは表向きは給仕だが実質は遊女の役割を果たした飯盛女がいたため、新宿は岡場所としても有名でした。
<4> 江戸庶民の花見文化
玉川では花見の時期、屋形船が出て川面から桜を眺める贅沢も楽しまれました。
水面に映る桜や花びらが流れる様子もまた風流で、広重の絵にもその雰囲気が漂っています。
花見は庶民にとって日常から解放される大切な娯楽でした。
玉川堤では、町人や農民だけでなく、武士や文人墨客も集まり、花の下で詩歌を詠む光景もしばしば見られました。
江戸人は季節の移ろいを非常に大切にしました。
春の花見、夏の花火、秋の紅葉狩り、冬の雪見です。
その中でも花見は格別の行事で、玉川堤の桜は江戸人に春の到来を告げる代表的な存在でした。
<5>現代に残る玉川の桜
現在も玉川沿いには桜並木が点在し、春には花見の場所として多くの人が訪れます。
現代の堤を歩きながら広重の浮世絵を思い浮かべると、江戸時代の人々と同じ桜を見上げているような感覚を味わえます。まさに時空を超えた共感の体験です。
現代でも「桜まつり」や「桜フェスティバル」が開催され、江戸の伝統が形を変えて受け継がれています。
玉川堤の桜は、過去と現在をつなぐ文化遺産といえるでしょう。

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