歌川広重-名所江戸百景-26-春- 八景坂鎧掛松 解説

歌川広重 名所江戸百景 八景坂鎧掛松 名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-26-春- 八景坂鎧掛松 解説

          

現在の住所:大田区山王2丁目 付近

緯度経度 :緯度35.588346:経度139.727224

出版   :1856年5月 年齢:60歳 

解説

<1> はじめに

「八景坂鎧掛松」は、現在の品川区北品川付近にあった景勝地を描いた作品です。

江戸湾を一望できる坂道に立つ一本松が中心となり、江戸の人々にとって親しまれた名所でした。

<2>八景坂と鎧掛松とは

八景坂は品川宿の南に位置する高台に続く坂です。坂上からは江戸湾が広がり、房総半島まで見渡せる絶景が楽しめました。

名の由来は、中国湖南省洞庭湖の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」になぞらえ、ここから眺める景色を八つの景観に見立てたことにあります。

夕照や夜雨など、詩的な風景に重ね合わせて江戸人は坂上の景観を愛しました。

鎧掛松は坂の上にそびえる大松のこです。源義家が後三年の役に赴く際、この地で休息し、自らの鎧を松に掛けたという伝説から「鎧掛松」と呼ばれました。

<3> 絵の見どころ

中央に大きく描かれるのは鎧掛松です。

その姿は一本松として屹立し、まるでシンボルのように人々の目を引きます。

松の背後には広大な江戸湾が広がり、大小の船が行き交う様子が見えます。

品川沖は海運の要地であり、当時の活気を伝えています。

松と海と空の三要素が組み合わされ、余白を活かした構図は非常に伸びやかです。

江戸の人々が愛した「八景」の一端を見事に浮世絵にしています。

鎧掛松の名は源義家が奥州征伐の際この松に鎧を掛けて休んだことによります。

鎧掛松は高さが20m以上ある大木でした。

樹齢八百年を越える松は品川から池上に行く途中、八景坂の坂上にありました。

八景坂は元々は薬研坂という名称からやけい坂と訛り、のちに八景という字を当てることにより「はっけい」坂と呼ばれるようになりました。

高台であったために瀟湘八景に擬せられるような見事な景色が見渡せたのは確かであろう。

昔は現在の池上通りではなくそばの天祖神社へ登る坂を指したらしいです。

左に茶屋があり、ちょうどよい休憩場所で見事な景色を眺めたのでしょう。

<4>江戸の人々にとっての八景坂

江戸時代、八景坂は観光スポットとしても人気です。

花見や月見の名所でもありました。

坂の名にちなみ、訪れた人々は「ここは瀟湘八景のようだ」と詠み、風雅を楽しんだといわれています。

鎧掛松は江戸の名木として広く知られ、旅人や文人墨客が訪れては歌や句を残しました。

<5>現代の八景坂と鎧掛松

八景坂は現在の北品川・御殿山あたりにその名を残しています。

坂の形状は大きく変わりましたが、地名や碑によって往時を偲ぶことができます。

鎧掛松は残念ながら、広重が描いた松はすでに失われています。

史跡碑が建てられ、伝承を伝える場となっています。

周辺の見どころは、「品川宿本陣跡」「荏原神社」「御殿山庭園跡」を巡れば、江戸から明治にかけての景観の移り変わりを感じることができます。

<6>観光ガイド

①歴史散策と伝説探訪

義家伝説を伝える鎧掛松跡を訪ね、江戸名所の空気を味わえます

②品川宿の街歩きとあわせて

東海道第一の宿場・品川宿の史跡や寺社をめぐる散策と組み合わせるのがおすすめです。

江戸庶民や旅人の気分に浸れます。

➂展望スポットとの比較

当時の八景坂からの海の眺めは、今ではビル群に隠れています。

代わりに高輪ゲートウェイ駅周辺や天王洲アイルからの展望で現代の「東京湾景」を楽しんでみると面白いです。

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