東海道五十三次の解説 35 吉田

歌川広重 東海道五十三次 保永堂版 吉田 東海道五十三次

御油宿から吉田宿まで10.3km  北緯34度46分00秒 東経137度23分23秒 

吉田宿は、東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場です。

601年の伝馬朱印状があり、東海道が設定された当初からの宿場でした。
江戸の日本橋より西方約287kmに位置します。
東の二川宿とは1里約6.1km、西の御油宿とは約10.5km離れております。
町並は23町約2.6kmの長さです。

吉田城城下町と湊町(吉田湊、船町)を合わせた宿場町でした。
表町12町と裏町12町の計24町で宿を構成されています。
本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠は65軒でした。
戸数は約1,000軒です。
人口は5,000から7,000人です。
飯盛女が非常に多くいました。

本陣のあった札木町は吉田城大手門のそばにありました。
人馬継立の問屋場もあったため、中心として賑わいました。
現在の愛知県豊橋市中心部になります。

豊橋市は、三河地方における経済・交通の中心です。
市の人口は約37万人で愛知県内5番目の都市です。

中世から江戸時代まで市の中心部は吉田です。
吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれています。

吉田は豊川と朝倉川の合流地点であり、渥美郡、宝飯郡、八名郡の境目に当たります。
幕末の石高は7万石で、岡崎藩や西尾藩を上回って三河国内では最大でした。

①「保永堂版」
目の前は豊川です。
豊川にかかるのは豊川橋(吉田大橋)です。
この橋は長さ220メートルの大きな橋です。
右は吉田城の天守閣でsy。
城には升目状に足場が組まれています。
左官職人が壁の補修を行っています。
足場の上方には、鳶職人が遠くの景色を楽しんでいます。

②「行書版」
吉田大橋から今橋城(吉田城)を眺める構図です。
白帆の船が並び、豊川の水量の豊かさがわかります。 
また、吉田橋の大きさが実感できます。

③「隷書版」
6月15日 天王祭りとあります。
祭りのにぎやかさが表現されています。

④「北斎版」
吉田大橋から遠くの山並みを眺めています。
ここでは、吉田城の方角が描かれていません。 

⑤「旅画像」
 本陣跡の石碑です。
 東海道400年祭りイベントののぼりです。
 
⑥「スタンプ画像」
 JRの駅イベントスタンプです。 

保永堂版 

行書版 

隷書版

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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