岡崎宿から藤川宿まで6.7km 北緯34度54分41秒 東経137度13分20秒
藤川宿は、東海道五十三次の37番目の宿場です。
現在の愛知県岡崎市藤川町辺りです。
中世から交通の要地で、1601年の伝馬制度により設置されました。
天保年間の「宿村大概帳」では、本陣1、脇本陣1、旅籠屋36、 市場村を含め宿内人別1213人(男540・女673)、総家数302、問屋給米7石、継飛脚給米32石余です。
人馬継問屋は中町に置かれ、問屋2、年寄5、給付4、飛脚番6、人馬差6、小使6、人馬100人・100疋で、定囲は5人・5疋でした。
1707年の1年間の上下立人馬で人足3万8017人、馬5万5627疋です。
1714年11月の琉球使節の人馬覚に御朱印人足1000人、馬200疋とあります。
1772年の疫病流行の際には約400人が病死し、宿々困窮により大きな借金になりました。
藤川宿は、愛知県で唯一歴史国道に選定されています。
脇本陣跡が岡崎市指定史跡、駒曳朱印状と高札が同市有形文化財に指定されています。
1990年に藤川宿資料館が完成しました。
関山神社には1601年の伝馬朱印状をはじめとする歴史資料があります。
1741年の棟札、1711年の宿高札が残ります。
脇本陣門・石垣・家並が残り、市内随一の宿場景観を保持しています。
旧東海道には1kmほどの松並木があります。
松並木やむらさき麦等とともに藤川宿は岡崎観光きらり百選に選定されています。
①「保永堂版」
街道と宿場の境界には棒示杭が立てられています。
棒鼻は宿場の出入口にあるものであるから、本陣の入口と思われる。
構図は「八朔御馬進献」の行列を宿場の役人が入口まで出迎える様子が描かれています。
八朔とは8月1日のことです。
幕府はこの日に朝廷へ御馬を献上する重要な儀式としていました。
行列の中の御幣を立てた馬が献上される御馬です。
左隅に子犬が3匹じゃれあっている。これに右の村役人が気になっている。細かな描写です。
広重は1832年に「八朔御馬進献」に同行しました。
それが《東海道五十三次》シリーズ出版のきっかけになった。
②「行書版」
宿場手前の山中の風景で、結構な勾配の坂を描いています。
左の2軒の店の看板に「山中名物 麻縄細工」とあります。麻縄の店が多いです。
右の店は屋根だけで表現しています。
③「隷書版」
ゆっくりと坂を下りてくる大名行列を描いています。
山中の割には道幅が広い印象です。
④「北斎版」
八朔御馬進献の馬ではなく、一般の馬に乗った女の旅人を表現しています。
⑤「旅画像」
藤川宿の案内板です。
⑥「スタンプ画像」
藤川駅は無人駅でスタンプもなく、切符の自動販売機もありません。
保永堂版
行書版
隷書版
北斎版
旅画像
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