歌川広重-名所江戸百景-20-春- 川口のわたし 善光寺 解説

歌川広重 名所江戸百景 川口のわたし 善光寺  名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-20-春- 川口のわたし 善光寺 解説

          

現在の住所:北区志茂5丁目

緯度経度 :緯度35.788040:経度139.725392

出版   :1857年2月 年齢:61歳 

解説

<1> はじめに

「川口のわたし 善光寺」は、江戸の北の玄関口にあたる渡し場と、庶民信仰の拠点であった善光寺を組み合わせた作品です。

川と人々の暮らし、そして信仰の旅情がひとつに重なり合う、江戸らしい情緒あふれる場面が広がっています。

<2> 川口の渡しと善光寺とは

隅田川は鐘淵より上流になると荒川と呼ばれました。

川口の渡しは、荒川の流れを渡るための重要な渡し場でした。

江戸と日光・奥州方面を結ぶ街道の要所で、多くの旅人や物資がここを通過しました。

江戸北方への出入口といえる存在です。

川には多くの渡し船が行き交い、人々の往来が絶えませんでした。

江戸の物資流通においても重要な地点でした。

善光寺は信濃・善光寺の分寺として建立された「川口善光寺」です。

江戸近郊の人々にとっては、わざわざ長野まで行かずとも善光寺信仰に触れられる便利な霊場でした。

江戸からの小旅行として人気があり、家族連れや行楽を兼ねた人々が多く訪れました。

<3> 絵の見どころ

川の流れを描き、その上を行き交う渡し船を配置しました。

船に乗る人々の姿から、江戸と地方を結ぶ交通の活気が伝わります。

対岸の高台には、善光寺の建物が小さく描かれています。

渡しの目的地が単なる移動ではなく、参詣の目的地であることを示しています。

水面の広がりと、川の向こうに寺院がそびえます。

人々の生活に密接に関わる自然と、心の拠り所である信仰がひとつの画面に収められているのが大きな特徴です。

名所江戸百景シリーズ中、最北にあたる荒川の川口の渡しを描いています。

右端へと消えつつある舟は、手前岸から発った渡し舟です。

船着き場にはもう三人の人物が次の舟を待っています。

対岸の赤い堂宇は、1195年に信濃の善光寺を勧請して建立された川口善光寺です。

この寺も信濃善光寺同様江戸時代には阿弥陀仏を開帳しておりました。

記録によると信濃では三十三年毎なのに対し川口はほぼ十七年毎です。

信濃まで行かなくても善光寺仏が拝めるとあって、開帳の期間には多くの人が押し寄せました。

この川は水源が秩父にあるため、 秩父からの木材を筏にして江戸まで運ぶのに好都合でした。

川面にはそれを象徴するかのように筏が列をなしています。

<4>江戸時代の旅人気分

当時の庶民にとって、川口の渡しを越えて善光寺を参拝することは、ちょっとした小旅行でした。

江戸市中を離れ、川を渡るだけで非日常感を味わえたのです。

船頭の掛け声や、川風に吹かれながら眺める遠景の寺は、旅の高揚感をさらに高めました。

<5>現代の「川口の渡し」跡を訪ねて

荒川は大規模に治水工事が行われ、当時の渡しの風景は失われています。

川口市内には史跡や解説板が残されています。

川口駅周辺から荒川河川敷を散策すれば、当時の景観を想像しながら広重の浮世絵の情景を重ねることができます。

<6>観光ガイド

①川口善光寺参拝

現代の川口市内にも善光寺が現存しており、当時と同じく参拝が可能です。

長野の善光寺に行く前に「お試し参拝」する気分を味わえます。

②荒川河川敷散策

近代的に整備された荒川河川敷は、ウォーキングやサイクリングに最適です。

夕暮れ時の川面を眺めれば、広重の浮世絵に描かれた光景を少し感じられるでしょう。

➂江戸の旅路を追体験

日光街道を辿る小旅行の一環として「川口の渡し跡」を訪れるのもおすすめです。

街道歩きと浮世絵鑑賞を組み合わせることで、江戸時代の旅人気分を味わえます。

 

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