
歌川広重-名所江戸百景-8-春-する賀てふ 解説
現在の住所:中央区 日本橋室町1,2丁目付近
緯度経度 :緯度35.6864:経度139.7727
出版 :1856年9月 年齢:60歳
解説
<1> はじめに
「する賀てふ」は、江戸城下の町並み越しに霊峰・富士山を望む、たいへん印象的な構図を持つ1枚です。
この絵は、江戸の都市空間と自然の象徴である富士山を同時にとらえています。
まさに「江戸ならではの風景画」といえるでしょう。
構図の巧みさ、描かれた町並みの歴史的背景、そして富士見文化の広がりを理解できます。
この作品が江戸庶民にとってどれほど親しまれたかが見えてきます。
<2> 「する賀てふ」とは
「駿河町(するがちょう)」は現在の中央区日本橋室町付近にあたる町名です。
駿河国(静岡県)出身の商人が住んだことから名づけられました。
江戸時代、駿河町は日本橋界隈の中心的な商業地です。
呉服店や豪商の店が軒を連ねていました。
特に三井越後屋(現在の三越本店)が開店した場所です。
駿河町の通りからは、正面に富士山を望むことができました。
江戸の町人たちにとって、日常の風景の中に富士が見えることは格別の誇りです。
越後屋は呉服を扱う商店で、伊勢出身の三井八郎右衛門高利が江戸に出て呉服店を興したのがはじまりです。
駿河町の地名も富士山のある駿河に由来しています。
当初は呉服店の多い本町に出店し「現金掛け値なし」の商売で当てました。
数年で富を築きましたが、同業者からの嫌がらせにあったか、江戸大火で本町が焼失した機会に駿河町に移っりました。
<3> 絵の見どころ
遠景に大きくそびえる白富士山が、通りの正面に堂々と配置されています。
富士の美しい三角形の姿は、江戸庶民にとって吉祥の象徴でした。
通りの両側には大店(おおだな)の軒が整然と並び、繁栄する商業地区の姿が描かれています。
軒先のれんや看板から、商売の活気が伝わってきます。
通りの奥に向かって直線的にのびる遠近法により、視線が自然と富士山へ導かれます。
江戸の町並みと富士山とが一体化する巧みな構図です。
店を訪れる人々や荷を運ぶ人足などが描かれ、商業地の賑わいがリアルに表現されています。
日常の人の動きが、この景観に躍動感を与えています。
道の左右は越後屋の店です。
<4> 江戸庶民にとっての「富士山」
富士山は浅間信仰の中心であり、江戸庶民にとって神聖な存在でした。
遠くから眺めるだけでも霊験あらたかとされました。
江戸の町では「富士見坂」など、富士を眺望できる場所が人気を集めました。
「する賀てふ」もそのひとつであり、町人たちは買い物や仕事の合間に富士を仰ぎ見ていました。
富士山は長寿や繁栄を意味する縁起の良い山とされ、浮世絵においてもしばしば「めでたい風景」として描かれています。
<5> 現代の駿河町を歩く
絵に描かれた通りの中央には、現在も三越日本橋本店が立地しています。
江戸時代の越後屋呉服店から続く、日本最古のデパートの歴史を体感できます。
駿河町周辺は、現在も東京を代表する商業地です。
江戸情緒を感じる建物や記念碑があります。
残念ながら、現在は高層ビルが立ち並び、通りから富士山を望むことはできません。
しかし「富士見の町」という歴史を知って散策すれば、当時の人々の感覚を想像できます。
<6>観光ガイド
①広重の浮世絵を片手に街歩き
「する賀てふ」を見ながら日本橋本町を歩けば、江戸時代の通りの姿を想像できます。
②三越日本橋本店の歴史探訪
越後屋の創業地である三越を訪れれば、商業文化の変遷を感じられます。
➂江戸と富士山の関係を学ぶ
日本橋エリアの歴史展示や資料館を巡り、江戸庶民の富士信仰を知るとより理解が深まります。
➃富士見の地名を探す
東京には「富士見坂」「富士見町」などの名が今も残っています。
富士山を愛でた江戸人の感性を辿ることができます。

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