
歌川広重-名所江戸百景-45-夏-鎧の渡し 小網町 解説
現在の住所:中央区日本橋小網町付近
緯度経度 :緯度35.6840:経度139.7785
出版 :1857年10月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「鎧の渡し 小網町」は、江戸の水運文化を象徴しています。
日本橋川に架かる橋の代わりに設けられた渡し場の風景が描かれています。
江戸の中心にありながら川幅の広いこの場所は、橋を架ける代わりに「渡し舟」が人や荷物を運んでおり、江戸庶民にとって欠かせない交通手段でした
<2>鎧の渡しとは
「鎧の渡し」は、日本橋川にあった渡し場のひとつです。
現在の中央区日本橋小網町から対岸へと結ばれていました。
その名の由来は、平将門にまつわる伝説にまでさかのぼります。
伝承によれば、この地の川底から将門の鎧が引き上げられたことがあります。
それ以来「鎧の渡し」と呼ばれるようになりました。
江戸の町にはこうした歴史伝説が色濃く残り、庶民の生活の中で自然に語り継がれていました。
<3> 絵の見どころ
手前には大きな渡し舟が描かれ、人々が乗り込み、あるいは下りていく様子が細かく表現されています。
舟は川の交通手段であると同時に、江戸の生活の象徴です。
日本橋川の水面は画面奥へと伸び、両岸の町家や倉庫が連なります。
その先には日本橋の街並みが広がり、都市景観としての江戸を感じさせます。
武士や商人、庶民が同じ舟を利用する姿は、江戸の社会が交わる場であったことを物語っています。
この渡しには古くから3つの伝説があります。
その1 源義家が奥州征伐に向かう時に、日本武尊の例にならって、この地に自らの鎧を埋めて安全を祈願しました。
その2 義家が上総国に渡ろうとした際に暴風雨が吹き海が荒れたため、鎧を沈めて龍神に祈願しました。
その3 平将門が首を鎧ごと取ったところ、この地に鎧だけを落としてしまい、そこに塚を造り甲山としました。
この渡しは茅場町から小網町を結んでいました。
この先には日本橋があり、物資の運搬のための役割が重要でした。
前景に、河岸で渡し舟を待つ日傘を差した女性がいます。
川には渡し舟や茶船、猪牙舟などが見えます。
対岸には船積問屋の蔵が軒を連ねています。
空には夏の季節を表す燕が四羽飛んでいます。
<4> 江戸の庶民との関係
江戸時代の初期、慶長年間に江戸城が築城された頃には、小網町の付近は日本橋川の河口洲の小さな中島でした。
八丁堀・霊岸島など、江戸の前島の埋立てが進みました。
日本橋川沿いの河岸の街へと姿を変えていきました。
日本橋川に面した土地柄、水上交通の面で重要な場所として発展した町です。
江戸に入ってくる米を扱う商店・問屋があったほか、行徳で産生する塩の扱いが多いです。
<5>現代の日本橋を歩く
現在の「鎧の渡し」があった場所は、東京都中央区日本橋小網町付近にあたります。
川は埋め立てや護岸整備が進み、当時の渡し舟は残っていませんが、地名や史跡にその名残をとどめています。
小網町周辺には、古くから商業が盛んで、今もオフィス街と老舗の商店が混在する場所です。
近くには「小網神社」があり、「強運厄除」のご利益で有名なため、渡し場跡を訪れた後に参拝するのもおすすめです。
さらに足を延ばせば、現代の日本橋川沿いに整備された遊歩道を散策できます。
水辺から見上げれば、いくつもの橋が架かり、舟運で栄えた江戸の姿を偲ぶことができます。
<6>観光ガイド
①史跡探索
小網町界隈を歩き、かつての渡し場跡をたどりましょう。周辺には江戸情緒を残す石碑や案内板も見られます。
②小網神社の参拝
渡し場跡から徒歩すぐ。東京屈指のパワースポットとして人気があり、江戸と現代をつなぐ不思議な縁を感じられます。
➂日本橋川クルーズ
舟に乗れば、川面から江戸の「水の都」を体感できます。
橋や護岸を眺めれば、広重の視点に思いを馳せることができます。

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