
歌川広重-名所江戸百景-41-春- 市ヶ谷八幡 解説
現在の住所:新宿区市谷八幡町15番 市谷亀ヶ岡八幡宮
緯度経度 :緯度35.6920:経度139.7330
出版 :1857年10月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「市ヶ谷八幡」は、江戸城の外郭に近い市ヶ谷の高台に鎮座する八幡宮を題材としています。
この八幡宮は「市谷亀岡八幡宮」とも呼ばれ、戦国時代から江戸庶民に広く信仰されてきました。
<2>市ヶ谷八幡宮の歴史
市谷八幡宮の創建は1469年~1487年とされ、太田道灌によって江戸城の守護神として勧請されたと伝わります。
戦勝祈願や地域守護の神として崇敬を集めました。
江戸時代には「市谷八幡」として親しまれ、徳川将軍家や大名家からも信仰を受けました。
とくに江戸城西方の守護神としての性格が強く、江戸の軍事・政治に関わる重要な存在でした。
武家のみならず庶民からも信仰され、祭礼や縁日には多くの人々で賑わいました。
特に初詣や節分などの行事は人気で、江戸近郊からも参詣客が訪れました。
<3> 絵の見どころ
八幡宮の鳥居から続く参道が力強い遠近法で描かれています。
参詣に訪れる人々の姿が小さく点景として描かれ、信仰の場でありながら市民の社交場でもあったことが伝わってきます。
市ヶ谷は神田川沿いの台地に位置しており、境内からは江戸の町並みを遠望することができました。
この眺望を大胆に取り入れ、参拝と同時に「景観を楽しむ」文化を表現しています。
八幡神は武家に篤く信仰された神で、武勇や勝利を象徴します。
江戸の軍事拠点に近い場所に鎮座する市ヶ谷八幡の姿は、江戸の安心と繁栄を守る象徴的な存在として描かれています。
市ヶ谷御門に架かる橋の上から、外堀越しに市ヶ谷八幡宮を眺めている。
石段を登った高台に描かれる朱塗りの市谷八幡宮はひときわ立派です。
この八幡宮は太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡を勧請し創建したと伝えられます。
鶴に掛けて亀岡八幡と称されました。
当初は市ヶ谷御門内に鎮座しましたが、1624年~1644年に御門外にあたるこの場所に移転しました。
境内の桜は満開です。
八幡宮の門前は大変な賑わいを見せる歓楽街として知られ、建ち並ぶ掛茶屋にもその様子がうかがえます。
<4> 江戸庶民と市ヶ谷八幡
八幡宮の祭礼は江戸っ子にとって大きな楽しみでした。
参道には露店が並び、芝居小屋や見世物小屋が出ることもありました。
単なる宗教行事にとどまらず、娯楽と交流の場でした。
江戸庶民は、安産祈願や病気平癒、子供の成長祈願など、日常生活のあらゆる場面で八幡宮を頼りました。
特に市ヶ谷八幡は「江戸城を守る神」としての格式がありながら、身近な祈りの対象でもありました。
<5>現代に残る市谷亀岡八幡宮
現在も新宿区市谷に「市谷亀岡八幡宮」として鎮座しています。
都会の喧騒の中にありながら、境内は静けさに包まれ、江戸の面影を偲ぶことができます。
秋の例大祭や節分祭など、江戸時代から続く行事が今も盛大に行われています。
特に節分の豆まきは多くの参拝客で賑わいます。
市ヶ谷界隈は江戸の文人墨客も多く訪れた場所であり、八幡宮も文学や芸術の題材となりました。
<6>観光ガイド
①市谷亀岡八幡宮参拝
現代の境内を訪れ、江戸から続く信仰の歴史を体感できます。
広重の絵と見比べると面白いです。
②神田川沿いの散策
神田川の川辺を歩けば、江戸の水運と町の歴史に触れることができます。
➂周辺の歴史探訪
近隣には防衛省や外堀跡など、江戸城にまつわる史跡が多く残されています。
江戸防衛の要地であったことを実感できます。

コメント