(あづまばし きんりゅうざん えんぼう)

歌川広重-名所江戸百景-39-春-吾妻橋金龍山遠望 解説
(あづまばし きんりゅうざん えんぼう)
現在の住所:墨田区向島3丁目 隅田川
緯度経度 :緯度35.7101:経度139.7985
出版 :1857年8月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「吾妻橋金龍山遠望」は、隅田川に架かる吾妻橋越しに、浅草の名刹・浅草寺(金龍山)を遠くに望む景色を描いています。
隅田川の清々しい水辺と、江戸庶民の信仰と娯楽が交差する浅草の活気を巧みに組み合わせて、当時の人々が舟遊びや参詣を楽しんだ様子を思い浮かばせています。
<2>吾妻橋と金龍山浅草寺とは
吾妻橋は隅田川にかかる橋で、浅草の東端に位置しています。
初めは仮設の橋でしたが、江戸の発展に伴い、人々の往来を支える重要な交通拠点となりました。
橋のたもとには茶屋や船宿が並び、浅草寺へ向かう参拝客や川遊びを楽しむ人々でにぎわっています。
吾妻橋周辺は、川舟の発着点としても栄えました。
浅草寺参詣の際に舟を使う人も多く、江戸庶民の行楽文化の中心地となっていました。
金龍山浅草寺は628年、漁師の兄弟が隅田川で観音像を引き上げたことに始まると伝えられる江戸最古の寺院です。
山号を「金龍山」といい、広重のタイトルにもその名が記されています。
浅草寺は徳川将軍家の庇護も受け、江戸庶民の厚い信仰を集めました。
正月の初詣、酉の市など、多くの年中行事でにぎわい、江戸最大級の観光場所です。
浅草寺周辺は門前町としても繁栄し、芝居小屋、見世物小屋、茶屋が並ぶ江戸随一の娯楽地です。
<3> 絵の見どころ
橋を前景に置き、その向こうに金龍山浅草寺を望むという大胆な遠近法を用いています。
舟や橋を行き交う人々の姿が、画面に生き生きとした躍動感を与えています。
川面には多くの舟が浮かび、遊覧や渡し舟を楽しむ人々が描かれています。
隅田川は「江戸の母なる川」と呼ばれ、庶民の憩いの場です。
上部には明るい空が広がり、遠景に浅草寺が小さく見えることで、開放感と遠近感が強調されています。
手前では庶民の日常や行楽が描かれ、奥には浅草寺の信仰の場が控えています。
この対比こそが、江戸の町の特色を端的に表しています。
隅田川にかかる吾妻橋は1774年の架橋で、長さ約141mです。
はじめ大川橋が正式名称でしたが、後に俗称の吾妻橋が公認されました。
民間で架設された橋で、通行料ニ文を徴収し維持費に充てていました。
この橋の隅田川の東岸は向島、西岸には浅草寺があります。
前景には隅田川で観桜しながら芸妓と舟遊びを楽しむ大尽がいます。
図には芸妓の後ろ姿しか見えません。
隅田堤から風に吹かれて舞った花弁、中景に隅田川の中州、対岸の河岸に繋がれた舟、浅草寺と五重塔、吾妻橋があります。、
遠景には舟の屋根柱の間から覗く富士山が描かれています。
<4>当時の浅草と隅田川
江戸時代、寺社参詣は信仰であると同時に一大娯楽でした。
浅草寺参拝に訪れた人々は、帰りに舟遊びや茶屋での休憩を楽しみました。
隅田川は物流の大動脈であり、同時に庶民の遊興の場でもありました。
川を行き交う屋形船や渡し舟は、江戸情緒を象徴する風物詩です。
<5>現代の吾妻橋と浅草
現在の吾妻橋は鉄橋として架けられ、東京スカイツリーを望む絶景の場所でもあります。
橋のたもとにはアサヒビール本社の「炎のオブジェ」もあり、観光名所として賑わっています。
今日でも浅草寺は年間3000万人以上が訪れる日本有数の観光地です。
吾妻橋周辺は散策路や水上バス乗り場が整備され、川遊びの文化も現代風に受け継がれています。
夜にはライトアップされ、幻想的な雰囲気を味わえます。
<6>観光ガイド
①吾妻橋からの眺望
東京スカイツリー、隅田川、浅草寺の三景を一度に楽しめる絶好の鑑賞場所です。
②浅草寺参拝
雷門、仲見世通り、本堂と続く参道は江戸以来の賑わいを今に伝えています。
➂隅田川クルーズ
屋形船や水上バスで吾妻橋をくぐれば、舟運の風情を体感できます。
➃夜景散策
吾妻橋周辺は夜になるとライトアップされ、昼間とは違う幻想的な姿を楽しめます。

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