(あづまのもり れんりのあずさ)

歌川広重-名所江戸百景-31-春- 吾嬬の森連理の梓 解説
(あづまのもり れんりのあずさ)
現在の住所:墨田区立花1丁目 吾嬬神社
緯度経度 :緯度35.7330:経度139.8160
出版 :1856年7月 年齢:60歳
解説
<1> はじめに
「吾嬬の森連理の梓」は、現在の墨田区吾嬬町にある「吾嬬神社」の境内に広がる森を題材としています。
特にこの地には「連理の梓」と呼ばれる奇木があり、江戸庶民の信仰を集めました。
<2>吾嬬の森と吾嬬神社
吾嬬神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る古社です。
創建は平安時代とも伝えられます。
社伝によれば、日本武尊が東征の折、妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)の魂を祀ったのが始まりとされます。
神社周辺は「吾嬬の森」と呼ばれ、江戸時代には鬱蒼とした鎮守の森が残されていました。
「連理」とは、2本の木が途中でつながり合って一本の木のように成長する現象を指します。
吾嬬神社の梓の木は、この連理の姿を示していたことから、縁結び・夫婦和合の霊木として信仰されました。江戸庶民は恋愛成就や夫婦円満を願って参拝したと伝えられています。
<3> 絵の見どころ
中央に「連理の梓」が描かれ、枝が絡み合いながら空に伸びていく様子が象徴的です。
木の根元には江戸の庶民や旅人が見え、霊木を眺めたり、祈りを捧げたりする姿が描かれています。
木々の濃い緑と社殿の佇まいが、江戸の中で神秘的な自然の空間を感じさせます。
亀戸の北方、十間川の端に、日本武尊の妃弟橘媛を祀った吾嬬権現社があります。
辺り一帯を吾嬬の森といいました。
境内の、途中から幹が二股に分かれた一本の樟(くすのき)は神木とされていました。
左奥の鳥居と社が吾嬬権現社です。
鳥居後ろの大きな木が樟でこの樟と社には次のような伝承がある。
日本武尊を助けようと海神を鎮めるべく入水した弟橘媛の着物がこの近くに漂着し、日本武尊は吾嬬の森にその着物を収める廟を作らせました。
弟橘媛の霊を鎮め、食事に使った樟の箸二本を廟の東に刺すと、後にこの箸が成長してくっついて二股の樟となりました。
<4>江戸庶民にとっての意味
「連理の梓」は恋愛や夫婦円満の祈願の場として、若い男女や夫婦に人気の場所でした。
江戸の人々にとって、神社への参詣は娯楽も兼ねた小旅行です。
境内での飲食や物見遊山も楽しみのひとつでした。
<5>現代の吾嬬神社
連理の梓そのものは現存していませんが、吾嬬神社は墨田区立花に今も鎮座し、地域の人々に親しまれています。
今も縁結びや夫婦円満、家庭円満を祈る人々が訪れ、江戸から続く信仰の流れを感じることができます。
亀戸天神や向島百花園など、江戸情緒を味わえる場所と合わせて巡るのもおすすめです。
<6>観光ガイド
①吾嬬神社参拝
「連理の梓」にちなみ、縁結びの御守や絵馬が人気です。江戸庶民の願いを今に引き継いでいます。
②広重の浮世絵との比較
墨田区内の史跡をめぐりながら広重の絵と照らし合わせると、江戸の面影がより鮮やかに蘇ります。
➂散策ルート
吾嬬神社を訪れた後、亀戸天神やスカイツリーと合わせて観光すると、江戸と現代の東京を同時に味わえます。

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