
歌川広重-名所江戸百景-27-春-蒲田の梅園 解説
現在の住所:大田区蒲田3丁目25番地 梅屋敷公園
緯度経度 :緯度35.5610:経度139.7160
出版 :1857年2月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「蒲田の梅園」は、春の訪れを象徴する梅の名所を描きました。
現代では「蒲田」といえば東京南部の交通拠点のイメージが強いです。
江戸時代には梅林が広がる静かな農村であり、江戸庶民の花見の行楽地でした。
<2>蒲田とは
現在の東京都大田区蒲田周辺です。
江戸から南へ向かう東海道筋の宿場町・六郷や羽田に近く、農村的風景が広がっていました。
江戸郊外では梅園が人気で、亀戸天神や向島百花園と並んで蒲田の梅園も庶民に親しまれました。
花見のほか、梅の実から作られる梅干しや梅酒も特産品として知られていました。
<3> 絵の見どころ
白梅や紅梅が枝を伸ばす様子が描かれています。
花の密度が高く、まるで空気そのものが甘い香りに満ちているかのようです。
園内には、花見に訪れた江戸庶民の姿が小さく点在しています。
弁当を広げたり、三味線を弾いたり、子供が走り回ったりと、春の喜びにあふれた様子が伝わります。
手前の梅の枝が大きくせり出し、奥に広がる花の海へと視線を導く構図です。
まさに「花に包まれる」感覚を呼び起こします。
蒲田一帯は古くから梅林で知られ、「蒲田の梅」として「江戸名所図会』に登場します。
1818年~1830年頃になると、東海道筋の大森西に、大森土産の和中散という風邪薬の売薬店主人いました。
本家が近江の栗東町六地蔵梅ノ木にあったことから、梅の木を看板として造園したものが、梅屋敷として知られるようになりました。
一般の人に開放され、茶屋の他に芝居や料理屋などがあり、梅の木は数百株ありました。
花の季節になると、その香りが東海道筋に届きました。
手前の山龍は、旅行用のもので、休息をとるために東海道から立ち寄ったのでしょう。
<4>江戸の人々にとっての「梅見」
江戸庶民にとって、春の花といえば桜と並んで梅が人気でした。
特に梅は「春告草(はるつげぐさ)」とも呼ばれ、寒さの残る頃に香り高く咲くため、希望や季節の移ろいを象徴しました。
蒲田の梅園は、亀戸天神ほど格式ばらず、気軽に足を運べる花見の場所としてにぎわっいました。
<5>現代の蒲田と梅園跡
残念ながら、当時の梅林はすでに失われています。
現在の蒲田は都市化が進み、繁華街・住宅地・空港アクセスの要衝となっています。
地元には「梅屋敷」という地名が残っており、これは蒲田の梅園に由来しています。
京急線の「梅屋敷駅」はその名残を今に伝える場所です。
<6>観光ガイド
①梅屋敷駅周辺の散策
駅名の由来となった「蒲田梅園跡碑」があり、江戸時代の風情を偲ぶことができます。
②近隣の名所とあわせて
「六郷神社(歴史ある鎮守)」
「羽田空港(現代の空の玄関口)」
「池上本門寺(江戸時代からの大寺院)」
をあわせて訪れると、江戸から現代までの時間旅行が楽しめます。
➂現代の「梅見」
蒲田そのものには梅林はありません。
近隣の池上梅園(大田区立)では毎年2月頃に梅まつりが開催されます。

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