
歌川広重-名所江戸百景-23-春-目黒千代か池 解説
現在の住所:目黒区下目黒1丁目 東京都教職員研修センター内
緯度経度 :緯度35.6339:経度139.7075
出版 :1856年7月 年齢:60歳
解説
<1> はじめに
「目黒千代か池」は、目黒地域にあった池を舞台にしました。
江戸市民が親しんだ景勝地のひとつを紹介しています。
今ではほとんど忘れられた池ですが、広重によって永遠の記録になりました。
<2>千代か池とは
目黒は武蔵野台地の南端に位置し、湧水が豊富で、池や川が多く存在した地域です。
千代か池もそうした湧水を源にした小さな池のひとつでした。
千代が池という名称は、新田義興が六郷川の矢口の渡しで討たれ亡くなったことを知らされた義興の恋人、千代がこの池に身を投げたことによるという。
さらにこの辺一帯を元は槍が崎といっていたのを千代ヶ崎と呼ぶようなりました。
<3> 絵の見どころ
画面の大部分を池の水面で占め、空や緑を映し込むことで清らかで静謐な空間を描き出しています。
池の縁には柳や松、季節の草花が茂り、訪れる人々の目を楽しませました。
自然の豊かさと池の涼やかさが調和しています。
池のほとりには散策を楽しむ人々が描かれ、庶民の行楽地としての性格を示しています。
武蔵野台地の稜線がのびやかに広がり、江戸郊外ならではの自然の広がりを感じさせます。
島原藩主松平主殿候の下屋敷に千代が池と呼ばれる大きな池がありました。
池の畔には千代が身を投げる際、衣を掛けた松が立っておりそれを衣掛松と呼ぶようになりました。
<4>江戸時代の目黒と池の文化
目黒には「目黒不動尊」や「目黒富士」など信仰と結びついた名所が多くあります。
千代か池もそうした行楽や参詣の道すがらに立ち寄れました。
池や小川は飲料水や灌漑に欠かせず、生活の要でもありました。
江戸庶民にとって、池のほとりで涼むことは夏の娯楽のひとつです。
<5>現代の千代か池跡
残念ながら、千代か池そのものは埋め立てられ、現存していません。
周辺は住宅街や商業地として開発され、池の名もほとんど忘れられています。
目黒にはいまも多くの湧水跡や小さな流れが残り、江戸時代の水環境をしのぶことができます。
目黒不動尊(瀧泉寺)、目黒川沿いの遊歩道、目黒雅叙園など、自然と文化を楽しめる場所が数多く存在します。
<6>観光ガイド
①目黒不動尊とあわせて散策
千代か池があった目黒の地は、不動尊参詣とともに庶民が訪れる一大行楽地です。
現在も参道や門前町の風情が残り、歴史散歩にぴったりです。
②目黒川の桜並木
春には目黒川沿いが桜の名所です。

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