
歌川広重-名所江戸百景-21-春- 芝愛宕山 解説
現在の住所:港区 愛宕山1丁目 愛宕神社
緯度経度 :緯度35.6639:経度139.7483
出版 :1857年8月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「芝愛宕山」は、江戸の町と海を一望できる高台からの景観を表現しています。
江戸の町のほぼ中心に位置した 愛宕山 は、標高25.7mと江戸市中で最も高い自然の山でした。
その頂にある 愛宕神社 は火伏せ・防火の神として信仰を集め、江戸庶民から武士に至るまで広く親しまれた名所です。
<2>愛宕山とは
新橋や虎ノ門からほど近い場所にあります。
愛宕神社は1603年、徳川家康の命により創建されました。
火伏の神・将軍地蔵尊を祀り、江戸の大火を恐れた町民や武士に厚く信仰されました。
山頂からは江戸市中、江戸湾、房総半島までも見渡せる絶景場所です。
花見や月見の名所としても人気でした。
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<3> 絵の見どころ
愛宕山の山頂から眼下に広がる江戸の町と、遠くの江戸湾を描き出しています。
視界の広がりを活かした構図が特徴です。
手前の屋根並みから、徐々に広がる町並み、そして海へと景色が続きます。
江戸という大都市が自然の恵みに抱かれていたことがよく伝わります。
愛宕山の高さを誇張するように、俯瞰の構図が用いられています。
実際の高さはわずか25.7mほどですが、「江戸を一望する山」として強い印象をあたえています。
愛宕山山頂にある愛宕権現社で一月三日に行われる「強飯式(ごうはんしき)」の毘沙門天の使いを描いています。
この日は愛宕山の地主神である毘沙門天を祭るために、素襖を着、正月飾りをつけたザルをかぶってすりこぎと杓子を持った使いが従者を連れて別当の円福寺に出向き儀式を執り行っています。
毘沙門天使いの勤めを終えて男坂を登って帰ってくるところです。
この男坂は急峻な階段で、全部で八十六段ありました。
右側にはやや緩やかな百七段の女坂がありました。
男坂を登り切るとこの図のように、江戸の市中と海が見下ろせました。
杓子のやや左手の大きい屋根が築地本願寺の本堂です。
正月の雰囲気をさらに強調する凧を添えています。
愛宕山独特の正月の行事と景勝地としての愛宕山をうまくまとめいます。
<4>江戸時代の愛宕山の楽しみ方
春には桜が咲き誇り、庶民が弁当を持って訪れました。
秋には月を愛でる宴が催され、文人墨客にも人気でした。
火伏のご利益を求めて、江戸の各町から参拝者が訪れました。
<5>現代の愛宕神社
現在も港区愛宕に愛宕神社が残っており、参拝可能です。
急勾配の「男坂」は、三代将軍家光の命で曲垣平九郎が馬で駆け上がった逸話から「出世の石段」として知られています。
高層ビルに囲まれつつも、山頂からは東京タワーや虎ノ門ヒルズを望める場所として人気があります。
江戸時代の「眺望の名所」の名残を今も体感できます。
<6>観光ガイド
①愛宕神社参拝
火伏・出世運のご利益がある神社として今も信仰を集めています。
特に「出世の石段」は挑戦する場所です。
②眺望散策
江戸時代に広重が描いた「江戸の町と海の眺め」は失われましたが、代わりに現代的な東京の摩天楼を一望できます。
➂歴史を感じる散歩
周辺には虎ノ門や新橋など歴史ある地名が残り、江戸と東京の移り変わりを肌で感じられます。

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