
歌川広重-名所江戸百景-15-春-日暮里諏訪の台 解説
現在の住所:荒川区西日暮里3丁目 諏訪神社付近
緯度経度 :緯度35.73078:経度139.76716
出版 :1856年5月 年齢:60歳
解説
<1> はじめに
「日暮里諏訪の臺」は、江戸の東北部に位置する日暮里の高台からの眺望を描いた作品です。
当時の庶民が愛した行楽地・日暮里の魅力が詰まっています。
この地は諏訪神社を中心とする小高い丘であり、周囲に多くの寺院や武家屋敷、庶民の別荘が集まる風雅な場所でした。
広重はこの作品で、江戸の人々が「避暑」「物見遊山」「信仰」の三つを同時に楽しんだ日暮里の風景を、伸びやかな構図で表現しています。
<2> 日暮里と諏訪の臺とは
「日暮里」は「一日ここに遊ぶと日が暮れるほど景色が良い」と言われたことから名づけられたとされます。
日暮里の高台に鎮座するのが「諏訪神社」です。
長野・信濃の諏訪大社を勧請したと伝えられ、古くから地域の守護神として信仰を集めていました。
「臺」とは台地や高台を指します。
1322年の建立と伝えられる諏訪明神社境内です。
諏訪神社が鎮座するこの場所は、上野や本所方面を一望できる景勝の地です。
江戸の人々にとって格好の眺望場所でした。
<3> 絵の見どころ
諏訪神社の境内や木立を前景に、遠方には江戸市中、さらにその先に富士山までもが見渡せる構図です。
江戸絵画で好まれる「遠近法」と「富士見の景色」が融合しています。
神社参拝に訪れた人々や散策する庶民の姿が描かれ、江戸人の信仰と遊楽が一体となった日常が垣間見えます。
社殿や社叢は簡略化されながらも存在感を放ち、信仰の拠点であることを示しています。
緑の濃さや空の抜けるような明るさから、夏から初秋にかけての爽やかな季節が感じられます。
暑さを避け、涼風を楽しむ江戸庶民の姿が想像されます。
中央の立派な二本の杉が境内であることを暗示しています。
諏訪の台は東北方向に視界が開けています。
見るように日暮里村の家並みを見下ろし、一面に広がる田畑の向こうに日光連山や筑波山までも望むことができます。
床に腰掛ける人に茶をふるまう掛茶屋まで出ている。
太田道灌の時代には江戸城の出張りとしても利用された。
<4> 江戸庶民にとっての日暮里諏訪の臺
江戸市中に比べて風通しがよく、緑も多かった日暮里は、夏の行楽に人気でした。
諏訪神社をはじめ、近隣には多くの寺院があり、参詣と景色見物を兼ねた「一日遊び」の定番コースでした。
俳人や歌人、画家らがこの地を訪れ、詩歌や絵画に詠み込んでいます。江戸文化の息づく場でもありました。
<5>現代の「諏訪の臺」
現在も荒川区西日暮里に「諏訪神社」が鎮座し、地元の氏神として親しまれています。
祭礼の際には地域が大いに賑わい、江戸時代からの伝統を感じることができます。
現在の東京では高層建築が増えていますが、諏訪神社や周辺の坂道からは今も市街地を望むことができ、往時の「高台からの眺め」を体験できます。
諏訪の臺を含む日暮里一帯は、谷中・根津・千駄木とともに「谷根千」として人気の観光地になっています。寺町や下町情緒を味わえるスポットとして多くの人々が訪れます。
<6>観光ガイド
①日暮里諏訪神社参拝
江戸の風景を描いた広重の絵と重ねて参拝してみましょう。
②寺町めぐり
諏訪神社から谷中方面に向かえば、多くの寺院を散策できます。
➂谷中銀座食べ歩き
江戸庶民が物見遊山で楽しんだように、現代では商店街の食事を楽しみましょう。
➃文学散策
正岡子規や森鴎外ら近代文学の舞台も近く、文化的な散策にも最適です。


コメント