歌川広重-名所江戸百景-6-春-馬喰町初音の馬場 解説

名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-6-春-馬喰町初音の馬場 解説

 現在の住所:千代田区東神田1丁目付近

 緯度経度 :緯度35.6942:経度139.7822

 出版   :1857年9月  年齢:61歳 

解説

<1> はじめに

「馬喰町初音の馬場」は、江戸の市街地の中心部にありながら、馬術と武芸の場として知られた空間を題材にした作品です。

現在の東京都千代田区東神田1丁目付近にあたるこの地域は、江戸時代に武士たちが馬を調練するための「馬場」が設けられていたことで有名です。

広重は、江戸の都市的な風景の中に広がる馬場の雰囲気を描き出し、当時の江戸の武士社会と庶民生活の接点を伝えています。

<2> 馬喰町と初音の馬場とは

「馬喰(ばくろう)」とは馬を売買する商人を指します。

この町には馬市が開かれ、馬の売買や飼育に携わる人々が多く住んでいました。

江戸城の外堀に近く、日本橋に隣接するため、交通の利便性に優れ、馬の需要が高まる立地でした。

馬は武士にとって不可欠な存在であり、軍事力や威勢を示す重要な役割を担っていました。

そのため馬喰町は武士たちにとっても重要な地域でした。

初音の馬場は、武士たちが乗馬や馬術を鍛える練習場として設けられました。

馬を自在に操る技術は、戦国時代から続く武士の必須技能であり、平和な江戸時代においても武家の嗜みとして重視されました。

徳川家康が関ヶ原の戦いの出陣にあたり馬揃えをしたといわれる江戸で最も古い馬場である。

初音の名称は近くに初音稲荷が鎮座していたことによる俗称です。

現在の東日本橋駅周辺、馬喰町駅近くに相当します。

江戸の中心に位置しながらも馬場が存在したことは、当時の都市構造の特徴を物語っています。

馬場は武士の訓練場でありながら、町に面していたため、庶民もその姿を目にすることができました。

馬を操る姿は庶民にとって一種の見世物であり、誇り高い武士の姿を実感できる場でもありました。

<3> 絵の見どころ

長く伸びる馬場を遠近法を駆使して描き、空間の奥行きを強調しています。

江戸の町に突如として現れる広大な直線空間は、見る者に強い印象を与えます。

画面には馬に乗る武士や、馬を引く人々の姿が描かれ、当時の馬場の様子を生き生きと伝えています。

馬具や装束の細部からも、武家社会の格式を感じ取ることができます。

背景には町屋や江戸の市街地の建物が連なり、都市と武芸の場が同居していた様子がうかがえます。

都市生活の中に「武士の場」が存在するという江戸ならではの特色を象徴する構図です。

中央に染め物が四反干してあり暮らめいている。

<4> 江戸庶民が感じた魅力

武士たちが颯爽と馬を操る姿は、庶民にとって憧れの対象でした。江戸の町で日常的にその様子を見られるのは馬喰町ならではの特権でした。

馬市も開かれていたため、庶民にとっては日用品の市場の延長線上に「馬」が存在していました。

馬を扱う人々の声や活気は、町をにぎやかに彩りました。

戦国の世が終わり、馬術は軍事というよりも「技芸」としての側面が強まりました。

馬場は武士の誇りを示す舞台であると同時に、庶民にとっては見物を楽しむ娯楽空間でもあったのです。

<5> 現代の現代の馬喰町を歩く

現在の馬喰町はJR総武線快速の駅があり、地下鉄浅草橋駅・東日本橋駅とも近接する交通の要地です。

江戸時代に馬の取引で賑わった面影は失われましたが、「馬喰町」という地名がその歴史を伝えています。

町中には史跡を示す案内板があり、江戸の馬場跡や商人町の歴史を学ぶことができます。

付近を歩けば、江戸から明治にかけての商業都市としての歩みを感じ取れるでしょう。

神田、日本橋、人形町といった下町エリアにも近く、江戸文化の多面性を体感できます。

<6>観光ガイド

①地名に残る歴史をたどる

「馬喰町」の地名は江戸の馬文化の記憶そのものです。歩きながら看板や史跡に注目しましょう。

②周辺の橋めぐり

 日本橋や両国橋など、広重が描いた名所が徒歩圏内にあります。

➂歴史散策+現代グルメ

 老舗の料理屋やカフェでひと休みしつつ、江戸の名残を味わえます。

➃浮世絵を片手に

 広重の浮世絵と現代の風景を見比べれば、都市の変化と連続性を実感できます。

コメント

Translate »
タイトルとURLをコピーしました