歌川広重-名所江戸百景-4-春-永代橋佃しま 解説

名所江戸百景

歌川広重-名所江戸百景-4-春-永代橋佃しま 解説

 現在の住所:江東区佐賀1丁目 永代橋 

 緯度経度 :緯度35.6718:経度139.7926

 出版   :1857年2月  年齢:61歳 

解説

<1> はじめに

「永代橋佃しま」は、隅田川に架かる永代橋と、対岸の佃島の姿を描いた作品です。

川と海が交わる水辺の風景を巧みに切り取り、漁村と都市が共存する江戸らしい景観を表しています。

<2>永代橋と佃島とは

永代橋は1698年、五代将軍徳川綱吉の50歳を祝して架けられました。

隅田川の最も下流の箱崎から深川佐賀町の間で長さ約200m、幅約6mの橋です。

江戸の大川・隅田川に架かる重要な橋のひとつです。

名称の由来は、永代島に架けられた橋であるためといわれています。

1807年に行われた深川八幡の祭礼を見物しようとした人々が1度に渡ろうとしたため橋が崩れ落ち約1500人の死傷者がでました。

日本橋から深川方面へ通じる主要な交通路となりました。

永代橋は単なる交通の要衝にとどまらず、花火や行事の観覧場所としても親しています。

明治期に鉄橋として再建され、現在も隅田川のランドマーク的存在です。

佃島は1624年に摂津国西成郡佃村(現在の大阪市佃)から移住した漁師たちが開いた島です。

幕府に献上する漁業権を与えられ、江戸の食文化に欠かせない漁村として栄えました。

保存食として工夫された「佃煮」は、この島が発祥です。佃煮は江戸庶民の食卓を彩り、現在も全国で愛され続けています。

島には住吉神社が祀られ、航海安全や漁業繁栄を願う信仰の場として崇敬を集めました。

現在も夏祭りには神輿が渡御し、江戸から続く伝統を受け継いでいます。

<3> 絵の見どころ

画面の中央に大きく描かれる永代橋は、隅田川のスケールを実感させる造形で表現されています。

その長さと大河を跨ぐ姿が、江戸のインフラの象徴として迫力をもって描かれています。

対岸に広がるのは佃島の漁師町です。

低い家々が並び、海に面した生活空間が見て取れます。

江戸の都市のすぐそばに、漁村的風景が存在したことがよくわかります。

隅田川には大小さまざまな船が行き交い、物資輸送や漁業が盛んであったことを示しています。

川は江戸の「動脈」であり、庶民の生活と都市経済を支えました。

川の向こうには広がる海の気配があり、川と海と都市が交わるダイナミックな地勢が感じられます。

永代橋の橋脚から佃島を望む構図になっている。橋脚の奥で行われているのは白魚漁で、右側には弁才船が停泊している。夜空には星々と月が輝き、海面を照らしている。

右中央のお船の裏側が佃島です。右中央のお船は弁才船です。

左中央の四つ手網です。四つ手網の隣の船が白魚漁nお船です。

左中央の太い木材が永代橋です。

<4> 江戸庶民が感じた魅力

永代橋は深川や木場方面と江戸中心部をつなぐ重要な通路。物資が運び込まれる玄関口として賑わいました。

佃島からもたらされる魚介類や佃煮は、江戸庶民の食文化を支えました。

川魚や海魚が新鮮に供給されるのは、江戸ならではの贅沢でした。

橋の上から望む隅田川と佃島の眺めは、行楽の名所としても親しまれました。

特に夕暮れや朝靄に浮かぶ島影は風情豊かで、浮世絵の題材にもふさわしい景観でした。

<5> 現代の永代橋と佃島

現在の永代橋は1926年に完成したアーチ型の鉄橋です。

国の重要文化財に指定され、夜には美しいライトアップが楽しめます。

佃島の面影は近代的な高層マンション群「佃リバーシティ21」が立ち並びます。

一方で、住吉神社や細い路地、古い民家が残り、江戸の漁村の面影を今に伝えています。

隅田川テラスは川沿いには整備された遊歩道があり、ウォーキングやサイクリングに最適です。

<6>観光ガイド

①永代橋ライトアップ

青と白のライトに照らされるアーチ橋は必見で写真撮影に人気があります。

②住吉神社

佃島の守り神で、江戸時代から続く信仰の中心で、夏祭りは圧巻です。

➂佃煮の老舗巡り

佃島発祥の佃煮を味わうことで、江戸の食文化を体感できます。

➃隅田川クルーズ

船上から眺める永代橋と佃島の景観は、浮世絵の世界を現代に甦らせます。

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