
歌川広重-名所江戸百景-10-春-神田明神曙之景 解説
現在の住所:千代田区 外神田2丁目 神田明神
緯度経度 :緯度35.7021:経度139.7708
出版 :1857年9月 年齢:61歳
解説
<1> はじめに
「神田明神曙之景」は、江戸庶民にとって最も親しみ深く、また最も尊崇された神社のひとつ神田明神 を題材にしています。
ここでは「曙」、すなわち夜明けの光が差し込む荘厳な情景が描かれ、江戸の信仰心と町人文化の豊かさを感じ取ることができます。
<2> 神田明神とは
神田明神の正式名は「神田神社」です。
創建は730年と伝わり、江戸の発展とともに町の守護神として崇められてきました。
徳川家康が関ヶ原の戦いの勝利を祈願したことで幕府の庇護を受け、江戸の総鎮守として地位を確立しました。
ご祭神は
一之宮:大己貴命(おおなむちのみこと、だいこく様)
二之宮:少彦名命(すくなひこなのみこと、えびす様)
三之宮:平将門命(たいらのまさかど)
特に平将門を祀ることから、武運長久や庶民の生活守護にご利益があるとされ、多くの人々が参拝しました。
「神田祭」は江戸三大祭りのひとつです。
江戸城内に神輿が入ることを許され、将軍も見物する天下祭として盛大に行われました。
広重の時代にも、神田明神は江戸のシンボル的な神社でした。
<3> 絵の見どころ
「曙」の名のとおり、東の空に朝日が昇り始める光景が広がります。
空は薄紅から黄金へと移り変わり、神域を照らし出す光が神聖さを際立たせています。
境内の社殿が画面中央に描かれ、江戸庶民の信仰の拠点としての存在感を示しています。
朱塗りの柱や屋根の曲線は、威厳と華やかさを兼ね備えています。
朝早くから参拝に訪れる町人たちの姿が小さく描かれています。
庶民にとって神田明神は、日々の生活を守る神様です。
夜明けとともに詣でる姿は当時の信仰心を象徴しています。
背後には江戸の町が広がり、遠くに富士山のシルエットも望むことができます。神社と都市、そして自然の調和を一枚に収めた構図は、広重らしい演出です。
日吉山王権現社と交互に隔年9月15日に行われる例祭により親しまれた神田明神を、正面からではなく裏手から描いている。
右端に朱塗りの社殿を描き境内であることを暗示しています。
今も湯島の大地に鎮座する神田明神は図に見るように東側が開けております。
三人の人物は、左から神主・巫女・仕丁と思われます。
彼らはまさにその東方向に広がる眺望と明るくなるに目を向けている。
曙だという以外に季節を暗示するものありません。
仕丁が桶を持つことから、正月に行われる若水汲みの行事後の場面と考えられます。
<4> 江戸庶民にとっての神田明神
商売繁盛、病気平癒、縁結びなど幅広いご利益があり、庶民の心の拠り所でした。
特に商人にとっては「だいこく様」「えびす様」が強力な守護神でした。
一方で武士や町人に根強く信仰されたのが平将門です。
江戸の土地神として祀られた将門公は、反逆者でありながら「庶民の味方」として崇敬されました。
神田祭は単なる宗教行事にとどまらず、江戸最大級の娯楽の場でもありました。
町人は神輿や山車を担ぎ、華やかな行列を楽しみ、江戸中が熱気に包まれたと伝わります。
<5>現代の神田明神を訪ねて
秋葉原から徒歩数分という好立地にあります。
電気街と神社が隣り合う光景は、古きと新しき東京の象徴といえるでしょう。
見どころは
・朱塗りの壮麗な社殿(昭和期に再建)
・商売繁盛を願う参拝客でにぎわう境内
・境内から望む東京の街並み
神田祭は現在も隔年で行われ、数百年の伝統を誇ります。
現代ではIT企業やクリエイターの参拝も多く、アニメやマンガとのコラボ行事も盛んです。
<6>観光ガイド
①朝の参拝
広重が描いた「曙」を再現するなら、早朝の参拝がおすすめです。
静謐な境内で日の出を迎える体験は格別です。
②歴史探訪
境内の将門塚や神田祭の資料を巡れば、江戸庶民と神田明神の深い結びつきが理解できます。
➂秋葉原とあわせて散策
電気街と神社を同時に楽しめるのは東京ならではです。
➃御朱印やお守り
大黒様やえびす様にちなんだ縁起物はお土産にも人気です。
 
 

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